「日本の男子ゴルフ界を変える」という強い思いで臨んだ黄金コンビの夢は、持ち越しとなった。松山英樹(24=LEXUS)と石川遼(25=CASIO)の日本は7バーディー、ノーボギーの65で回り、通算14アンダーの274で6位。19年開催予定の次回W杯でも「また一緒に組みたい」とリベンジを誓った。

 悔しくてたまらないから、視線はもう先を向いていた。松山が「次回、もし出られるチャンスがあれば、また遼と一緒に組みたい」と言えば、石川も「もっと自分がワールドランクを上げて、英樹と一緒にW杯に戻ってこられるようにしたい」。思いは同じだった。

 3番で松山、4、5番で石川が連続バーディー。7番は松山が隣接する1番のフェアウエーを利用し、第2打を7番アイアンでピンそば1メートルにつけるスーパーショットからバーディーを奪った。しかし、503ヤードと短いパー5の8番でパー。4日間、1度もバーディーがなかった鬼門で逆転劇の機運はしぼんだ。「僕が8番でバーディーパットを外した時点で流れが悪くなった」と悔やんだ松山に対し、石川も自らを責めた。「英樹だけがチャンスにつけることが多かった。それを英樹が外して『オレのせいだ』っていうのは違う。自分に技術がなかった」。

 松山は大会にかけていた。直近の圧倒的強さを支えたパットが低調。練習中は関係者のスマートフォンに保存してある勝った試合のパット動画を見直すのが日課だった。パターを持ったまま練習場の間を移動する際に鏡を見つければ、立ち止まって素振りを繰り返す。石川が最近使っているパット練習器具「インパクトボックス」を試したことも。必死な姿に現地紙で「松山は21日に6時間のパット練習を行った」という“誤報”が流れたほどだった。

 最終日は2人だけでなく、両チームスタッフ全員がポロシャツを赤で統一。トップ選手の欠場も珍しくない舞台で松山が見せた熱さ。「タラレバですけど…」と断って続ける。「遼と組んで優勝していたら、やっぱり日本の男子ゴルフ界をもっと変えられると思っていました」。石川を選んで良かったか、という質問には「他の人を想像したことがないので、良かったも悪かったも、遼しかいないと思っている」と返した。

 「またやろう」と言って、それぞれ帰りの車に乗り込んだ。19年W杯、日本側が団体戦を希望する20年東京五輪もある。次こそは2人で世界一を勝ち取る。【亀山泰宏】

 ◆W杯試合形式 28の国と地域から56選手が出場。第1日、第3日は1つのボールを交互に打つフォアサム、第2日と最終日はそれぞれが1つのボールをプレーし、いいスコアを採用するフォアボールで競う。