イチローよ、オレの記録を抜いてみろ。通算4256安打の大リーグ記録を持つピート・ローズ氏(70)が、年間200安打以上が10年で途切れたマリナーズ・イチロー外野手(37)に激烈エールを送った。年間200安打以上をイチローと同じ10度マークした世界一のヒットメーカーは、年齢による衰えは気持ちから来ると指摘。38歳で208安打した経験を話し、日米通算でいいから4256安打を超えてみろ、と熱く語りかけた。

 最後まで注目していたよ。残念だったな。200本打てなかった技術的な理由については、常に見続けていたわけではないから指摘しづらい。ただ、打率が3割を切ったということは彼にとってはとても大きなことだったと思う。イチローに限らず、3割を残せなければ200安打到達はとても難しくなるからだ。

 私は年間200安打以上を10回マークしている。72年のロックアウトと81年のストライキがなかったら、12回になっていたはずだが(笑い)。ともかく、私もイチローと同じように、毎年200本を目標にしていた。1番打者だった私の役割は得点すること。200安打できれば100得点の可能性が高くなる。そうすればチームの勝利につながってくる。

 しかし、200本を打つには、休まずに誰よりも多くの打席に立つ、という気概がないと到底達成できない。毎日試合に出たいと思い続けるところに、私はイチローという選手の価値を見いだしている。今年の6月だったか、彼はスランプから1試合、監督から休養を与えられたね。マリナーズの監督を批判するつもりなど全くないが、1日休んだだけでスイングが変わるとでも思うのだろうか。たとえ不調に陥っていても毎日出続けて結果を残してきたイチローには誰にもまねできない実績がある。休ませるなんてばかげている。私は指の骨折をおして出続け、200安打を放った年があったが、あの時のイチローの気持ちは察するに余りある。

 今年、内野安打が減った理由に、相手の内野守備がイチローに慣れたという声があるが冗談だろう。イチローの傾向を知るのに10年もかけるのか。過去10年、多くの内野安打を放って来たイチローが今年突然、違うやり方をしたとは思えない。また、相手投手が今年、これまでと違った攻め方をしているというわけでもないだろう。イチローを打ち取るために特定な攻め方などあり得ない。

 イチローはとても賢い打者だ。仮に相手がある特定のパターンに手応えを感じていたとしても、イチローはすぐに対応してくる。打撃の弱いマリナーズにいるから、相手投手がイチロー封じに重点を置いているという見方もあるようだが、それもばかげているね。3アウトが必要なゲームの野球に相手投手がイチローだけを重視していたらどうなるか。言うまでもないだろう。野球はそんな簡単なものではない。

 内野安打が減ったのは、イチロー自身の問題だったと推測する。イチローの総安打数のうち、20%くらいが内野安打。それが今年は自己2番目に少ない38本で、200安打に届かなかったのだから、それは危惧すべきことではないか。

 確かに、年齢が上がると200安打も難しくなるだろう。でも、私は38歳の時に200安打をやっている。40歳でリーグ最多のヒットを放っている。私と同様に、たばこを吸わず酒もたしなむ程度と聞くイチローであれば、体も問題はないはず。でも、来年200本へ再挑戦するのであれば、それには打率3割が必要だ。

 一般の人々もそうだと思うが、45歳前後を境に視力は衰える。もちろん、個人差はある。それよりも、衰えは気持ちから来るということを認識しておかないといけない。野球に限らず、衰えを加速させるのは「気持ち」だ。諦める気持ちが1度起きると、とめどなく広がってしまう。それで終わりだ。

 休まずに試合に出続ける選手が私の記録を追い越すことができる。それができるのはイチローかヤンキースのジーターだと思っていた。しかし、イチローより1歳下のジーターはけがもあったのだろうが、最近は休養を取るようになっている。私の記録を抜こうという気はないようだ。そうなればイチローしかいない。

 イチローが大リーグで3000本に到達すると、日米合算で私を抜くことになるが、抜かれるならイチローに抜かれたい。正直に言うと、日本での記録とメジャーでの記録を一緒にすることはできない。それでも、休まず試合に出る野球への真摯(しんし)なイチローの姿は他の選手には見られないことだ。ただ、今季を見る限りでは、あと600本を打ち、メジャー通算3000本に到達する道のりはとても険しいものになるとは思う。

 最後に1つ、つけ加えたい。プレーオフに出てワールドシリーズで活躍するイチローの姿を私は心待ちにしている。素晴らしい選手は強いチームにいるべきだ。私はヤンキースやフィリーズのユニホームを着たイチローが見たい。でも、イチローはシアトルに骨をうずめるのだろう。それが現実というものだ。