<レンジャーズ12-6ブルージェイズ>◇27日(日本時間28日)◇レンジャーズボールパーク

 レンジャーズ・ダルビッシュ有投手(25)が、苦しみながらも日米通算100勝を飾った。本拠地テキサス州アーリントンでのブルージェイズ戦に先発。腰の張りで5回降板の緊急事態に見舞われ、7安打3失点。メジャー移籍後最少の3奪三振と精彩を欠いたが、強力打線の援護に恵まれ、ア・リーグ単独トップ、両リーグトップタイの7勝目をマークした。177試合目での100勝到達は、スタルヒン(巨人)に次ぐスピード記録。山あり谷ありの日米プロ8年目でメモリアル白星を刻んだ。

 これまでの野球人生を象徴するような、価値ある1勝を積み上げた。ダルビッシュが険しい表情で、記念すべきゲームセットの瞬間を見届けた。腰の張りのアクシデントで5回でマウンドを譲った。日本ハム時代の先輩建山ら救援陣がつなぎ、味方打線の強力援護を受けた。ワシントン監督にハグをされると、やっと表情が崩れた。100勝の軌跡の記憶をたどり、少し感傷的になった。

 ダルビッシュ

 チームメートが打ってくれて、守ってくれて…。チーム全体とファンが一緒になって実を結んだ数字。

 完璧なお膳立てを受けたが、緊急事態に直面した。3回までに9点の大量得点。明らかな異常サインが出たのは4回。ソロで2点目を失い、なおも1死二塁のピンチでだった。45歳の大ベテラン、ビスケルを迎えて、四股を踏むようなストレッチを行った。マウンドで珍しく股関節を入念にほぐし、スイッチを入れ直した。エースの看板を背負い続ける意地だった。

 5回も続投。先発投手の任を果たしたところで首脳陣からストップがかかった。ワシントン監督は「腰に張りがあった。なければ6回もいかせた」と大事をとった。中4日の登板間隔など、慣れない過酷な環境のメジャーで10試合目。ダルビッシュが「シアトルから体調が良くなかった」と告白したように、前回登板の21日マリナーズ戦から異変を感じていた。蓄積疲労からか、胃の不調もあったという。

 苦しんでつかんだ白星だけに、この日だけは美学も例外だった。日本ハム時代から勝利数は、投手の評価項目として重要視していなかった。「勝ち星は運、不運もある。自分でコントロールできない」と理由を明かしたことがある。登板試合数とイニング数、防御率など自力が左右する成績を重視し、勝利数は比較的、固執しなかったが、この日の感情は違った。「勝ち数は自分で評価していない。100って言ってもまだまだ」と言いつつ、やはり「1勝1勝がうれしい」と素直に喜べた。

 順調に積み上げた白星の数と対照的に、未成年での喫煙発覚からスタートし、離婚など波瀾(はらん)万丈なプロ野球人生。野球を極める道だけは脇目を振らずにまっすぐ歩いてきた。100勝のうち70勝、先発してコンビを組んだ日本ハム鶴岡は、しみじみと言う。「違う世界に行ってしまったけれど、すごくいい思い出。あんな投手は、もう出てこないと思うから」。何度サインに首を振られても温かく、広い心で支えてきた。

 そんな周囲の人たちにも育まれたと実感できる内容、特別な1勝。この日のアクシデントも、次戦の6月2日(同3日)エンゼルス戦の登板には支障なさそうだ。ダルビッシュが、さらなる進化へのモチベーションを充電した。

 ▼ダルビッシュが日米通算100勝目(日本93勝、大リーグ7勝)。初勝利は日本ハム時代の05年6月15日広島戦(札幌ドーム)。日本のランキングと比べると、通算177試合目での到達は39年スタルヒン(巨人、165試合)に次ぎ48年藤本英雄(巨人)に並ぶ歴代2位タイのスピードに相当。ドラフト制後では06年松坂大輔(西武)上原浩治(巨人)の各191試合を上回る最速になる。年齢でも25歳9カ月は06年松坂に並び、ドラフト制後4番目に若い。