大相撲の横綱白鵬(30=宮城野)が、1月の初場所後の優勝一夜明け会見で、日本相撲協会の審判部を批判した。初場所13日目、取り直しとなった稀勢の里戦に端を発した発言は、いくつかのボタンの掛け違いがあって騒動につながった。このほど、白鵬が初めて明かしたのは「勝負規定」を知らなかったという事実だった。
ボタンをはめるのに肝心な最初に、掛け違いが起こった。途中で気づけば直しは早かったろうに、本人は知らない。すぐ近くで見ている人からも、不幸にも何の言葉も掛けられなかった。間違ったまま、新記録の高揚感と祝い酒の影響が相まって、不満が口から出た。それが、初場所後の白鵬の“舌禍事件”だった。
今年の相撲がすべて終わった冬巡業で、白鵬は初めて、当時について言葉を紡いだ。「あれはね、足の裏が返ったらダメだということは、教えられたこともないんですよ。知らなかった」。神妙な面持ちだった。
初場所13日目の稀勢の里戦で取り直しとなった一番について、場所後に審判部を痛烈に批判した。「子供が見ても分かる相撲」と。
テレビカメラも回る一夜明け会見の公の場で、審判部へのお門違いな批判だった。同情の余地はない。ただ、そこに至る経緯だけは、無視するべきでもない。
当時、朝日山審判長(元大関大受)は、場内にこう説明していた。「行司軍配は白鵬に上がりましたが、両者落ちるのが同時と見て、取り直しといたします」。
勝負規定第6条には「足の裏以外の体の一部が、早く砂についた者を負けとする」とある。物言いを受けたビデオ担当の親方は、これに倣った。横綱の負けだとする意見もあった中で、最後は取り直しを進言した。その「稀勢の里の体が落ちるのと、白鵬の足が返るのが同時」が館内に説明されていれば、最初の掛け違いはなかったかもしれない。
白鵬は振り返る。「ビデオ判定でそこまで出すのかと。でも、あのとき(審判長)は言っていなかった。分からなかった。(相撲の)流れはどうみても自分だと思っていましたから」。
相撲を生業としている以上、勝負規定を知らない方が悪い。ただ、事実として、白鵬は知らなかった。掛け違いは続いてしまった。
周囲によると、不満は13日目の取組後から出ていたという。だが、師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山)がとりなすこともなかった。指摘し、疑念を詰めていれば、あまりにも敬意を欠いた発言は生まれなかっただろう。間違いは、最後まで直らなかった。
当時、自分も例に出したのが69年3月10日の春場所2日目に「世紀の大誤審」によって連勝が「45」で止まった大鵬の言葉だった。「別に審判部へ抗議しようなんて気持ちはない。いつまでもクヨクヨしたってしょうがない」。潔かった。
白鵬には響いた。「あのことで、大鵬さんの連勝が止まったときのことを例に出してこられたじゃないですか。大鵬さんのことを出されると、切ないね…」。
誰も得をしない形で幕が開いた15年。白鵬は大鵬の記録を超えた。ただ、偉業とは、記録だけでは測れないもの。来る16年は白鵬の「心技体」の心を、どう感じられるか。【今村健人】
◆白鵬の審判部批判騒動 初場所の一夜明け会見(1月26日)で、自ら「疑惑の相撲が1つあるんですよね。これは、いかがなものかと」と切り出した。
問題としたのは初場所13日目の稀勢の里戦。左を差して寄った土俵際で右小手投げを食らい、大関とほぼ同時に倒れた。軍配は白鵬。確かに白鵬の右腕より、稀勢の里の左腕が早く落ちていた。だが、白鵬の右足の甲は、それより早く返っていた。協議の結果は取り直し。あらためて勝って、大鵬を超える最多33度目の優勝を果たした。
これに対して「勝ってる相撲ですよ、1番目は。そのときは分からなかったけど、帰ってビデオを見た。子供が見ても分かる相撲。なんで、取り直しをしたのか」と審判部批判。前代未聞の波紋が起こった。
北の湖理事長(元横綱)と伊勢ケ浜審判部長(元横綱旭富士)が、師匠の宮城野親方(元前頭竹葉山)を通じて厳重注意した。

