浅田次郎の競馬のエッセーが好きだ。氏いわく、ツキのないヤツと仲良くしないこと。競馬だけではなく、人生もそんな気がするが、そうもいかない。ニューヨークで大失敗した馬券、しばらくボートレースに浮気した。

国際交流基金から、アフガニスタンに派遣されることとなった。すごいスポーツと出会う。歴史的な騎馬競技、馬と馬がぶつかり合う。「ブズカシ」という。ブズは、ペルシャ語でヤギ、カシはつかまえるという意味。首なしのヤギの奪い合いを騎乗からする迫力。BC4世紀、アレキサンダー大王も驚いたと伝わる史実あり。

卓越した乗馬技術に圧倒される。「名馬は人間よりも高価、自動車の運転では人より馬に注意すること」と教えられた。そこで「ブズカシ」の研究をすることにした。競馬好きだったから、馬好きだったので、いいテーマだと思った。

馬産地に足を運ぶ。チャパンドゥー(騎士)の練習方法、馬の調教、どれもおもしろかった。馬主は、その地方の有力者で数頭を持ち、多くの騎士をかかえる。「ブズカシ」は1チーム15頭くらいから、数十頭の試合もある。ポロの原型ともいわれるが、馬と馬が闘うところに特色があった。この国では馬と犬(アフガンハウンド)の輸出は禁止されていた。

アフガンを中心に中央アジアの馬文化。異国の地で馬を追う日々、楽しかった。で、「シルクロードを駆ける、汗血馬の源流」という著作を玉川大学出版部が出版してくれた。高校生に読ませたい本、「緑陰図書」に選ばれ、私の馬好きが報われた。

執筆中、長男が誕生したので、「登久馬」と名付けた。馬文化の奥は深い。どんな国でも馬を大切にするのは、やはり、いざといった時、馬の活躍がたよりになるからである。で、競馬をして良馬をどの国も保有しようと努める。旧ソ連軍の戦車は、アフガンゲリラの馬に負けたのは歴史と機動力の差であった。

帰国後、皐月賞馬のヤエノムテキの第1子の馬主になった。千代の富士のファンだったので、チヨノムテキと命名した。が、未勝利、京都で2回走って腰砕け。やっぱり私には、浅田次郎のいうツキはなかった。