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評論家

為末大学

為末大学

日刊スポーツ紙面の人気コラム「爲末大学」が登場します。陸上の元五輪選手でマルチな才能を発揮する為末大氏(36)が、大会を社会学的な見地か ら考察。W杯終了まで、日刊スポーツ紙面で毎週水曜日の連載です。

生き残るため…世界の「当たり」は相当厳しい


 1次リーグ敗退が決定したイングランドのルーニー選手の言葉が引っかかった。「我々は少し正直なプレーをしすぎたのかもしれない。もっと『streetwise』なプレーをするべきだ」。「streetwise」は、ずる賢さや生き残れる力のような訳をされている。もっとずる賢くなれという意味だろう。

 日本のスポーツにおいて、最も美徳とされる価値観は「正々堂々」「礼を重んじる」「先輩を敬う」「全力で逃げずに戦う」あたりではないだろうか。

 私が初めて陸上の世界大会に出たのは18歳の時、フランスで行われた世界室内という大会だった。リレーで出場していた私は、レースで後ろから迫ってきたロシアの選手に突き飛ばされて転倒してしまい、最下位に終わった。日本としてすぐ抗議をしたが決定は覆らなかった。その後、決勝レースを見ていて驚いた。あちこちで選手たちが腕を引っ張り合ったり、身体をぶつけ合ったりしながら走っている。日本で相手を気遣いながら遠回りで追い抜いていくのとは、まったく違う世界だった。

 以前、高校野球で松井秀喜選手に全打席敬遠するということがあった。子供心ながら覚えているのは、周囲の大人が烈火のごとく怒っていて、確か高野連もその選手に何らかの注意を促していたように記憶している。ルールでは許されているけれど、マナー違反じゃないか。そういう声が多かった。

 日本の部活動において、勝利は最優先事項ではない。それよりも相手を敬ったり、正々堂々と戦うことが重要視される。私たちはスポーツを通じて人格が形成されることを目的としていて、部活動の時代だけで競技スポーツをやめる人にはそれでいいのだと思う。

 ただその後、競技者として世界と戦っていく選手には、その習慣が時々邪魔になる。ルールの隙間を縫って、何が何でも勝ちにくる相手と互角に渡り合うために、私たちも相当にタフにならないといけない。ぶつかる時に謝るのではなく、どう引きずり倒すかを考えないといけない局面もある。ましてやサッカーのように、相手との駆け引きがある種目ではなおさらだ。

 勝利がすべてではないというのは素晴らしいと思うけれど、その価値観が広く広がった文化では、なりふり構わず勝利に向かうということが難しい。本当の勝負の場では、この根底の価値観が表れる。

 きれいごとでは済まない「修羅場」で戦うために、私たちに必要なものは何なのか。世界の当たりは相当に厳しい。(為末大 @daijapan)

















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