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評論家

為末大学

為末大学

日刊スポーツ紙面の人気コラム「爲末大学」が登場します。陸上の元五輪選手でマルチな才能を発揮する為末大氏(36)が、大会を社会学的な見地か ら考察。W杯終了まで、日刊スポーツ紙面で毎週水曜日の連載です。

本田選手が「優勝」を掲げた意義


 サッカーの日本代表がたたかれている。各メディア、手のひらを返したようにバッシングの嵐だ。

 現在、最もその矢面に立っているのは本田選手ではないだろうか。「優勝を目指す」と強気の発言で世間の期待感を高めてきただけに、世の中の裏切られた感が強くなっているのかもしれない。

 本田選手がことあるごとに口にしていた「優勝」という言葉は、果たしてどういう意味だったのだろうか。国際サッカー連盟(FIFA)が発表している日本のランキングは46位、ひいき目に見ても優勝とはほど遠く、これまでの国際大会の結果から見ても優勝はちょっと現実的ではない。そして何よりそのことは日本全体がよく知っていたように思う。もしかすると本田選手自身も。

 私は人々が夢や目標を口にする時、実は2種類あると考えている。

 1つは「具体的な目標」。本当にそれを達成するつもりだし、評価はそれを達成できたかどうかではかりたい。具体的なので数字や順位などはっきりしたものを基準に据えることが多い。

 もう1つは「ぐらいの気持ち」というもの。現実的には難しくても、それぐらいの気持ちでやりますという目標だ。具体性はあまりなく、世界一とか、誰にも負けないとか、そういう言葉で表現されやすい。

 実はこの「具体的な目標」と「ぐらいの気持ち」が時々、混濁しているように私には感じられる。例えば「犯罪ゼロ」を警視庁が目標に掲げるとする。みんなそれが達成されないことは知っているけれど、それを怒ったりはしない。そのぐらいの気持ちで取り組むという比喩表現のような目標だからだ。

 私は臆病だったので、達成可能な目標を1つ1つクリアしていくやり方を好んでいたが、一方でそれが自分の限界を決めてしまっていたのかなとも思う。どんなに荒唐無稽でも、最初のコンセプトが世界一からスタートすれば、何度も何度も挑戦しているうちに本当に達成してしまうことがある。

 本田選手は確かに現実離れしたような、大きな目標を立て、今回は達成できなかった。でも、それは北極星のようなもので、これからの日本代表が向かう方向を示す役割を果たすのではないか。少なくとも世界一というコンセプトが残ったことは、とても大きいと私は思う。

 現実を見ることは大事だけれど、一方で人は夢をみて生きている。私はどちらかというと地に足をつけたがる人間だけど、はるかかなたを見てくれる人のことを応援したい。(為末大 @daijapan)

















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