★6月23日の「令和8年沖縄全戦没者追悼式」。首相・高市早苗のあいさつでは「戦争反対」「憲法9条を守れ」など多くのヤジが飛んだ。その後、ぶら下がりで「戦争やめろ」の声の受け止めを問われた首相は「『戦争をやめろ』って、今、日本は戦争をやっておりません。平和国家としての歩みを戦後ずっと続けてきたというのが日本国の誇りだ」と答えた。それを受ける形で国民民主党代表・玉木雄一郎は翌日の会見で「平和運動さえ名乗ればあらゆることが免責されるというようなある種の戦後平和運動がまといがちだった甘えを見直すべきだ」とした。

★続けて「ああいう場でヤジを飛ばすことによって、平和運動そのものに対する違和感や嫌悪感が生まれて、かえって本当の意味での平和運動・平和活動が後退したり、多くの人から避けられるような存在になることをむしろ恐れますね」「沖縄の置かれた特殊な歴史、特殊な位置というのは、もう十分にわかる」としたが、この発言を見る限りわかっているとは思えない。一方、我が意を得たりと政府与党は平和運動が諸悪の根源かのような対応を始める。学校教育の中立性などを言い出した。「日教組批判ならわかるが、平和教育そのものにケチをつけ始めたら『戦争反対』も『子供たちを戦場に送るな』も『中立か』と問われれば言えなくなる。軍拡を進める平和教育の正解はあるのか」(野党議員)。確かに平和の概念は戦争当事者が減り、広島も長崎も直接の被爆者は減って変わってきている。

★しかし玉木の発言しかり、「特殊な歴史」「特殊な位置」はその通りだが、沖縄の平和教育は本当に甘えているのだろうか。今、東京の平和の中で安全保障などとわかったような理屈をこねている専門家や政治家はそのバランスを保つために、平和を守るために沖縄が極めて大きな実務的負担をしょい込んでいることを承知で沖縄を批判しているのか。戦後一貫して沖縄を“不沈空母”化し、昨年の首相の台湾有事発言で一層緊張を増し、軍備配置を進めている沖縄に「甘え」と言えるか。「中立」が正義のように言うなら安全保障の全県平等、中立の配備でもすべきだ。沖縄県民は国民や無能な政治家から「軍拡しか知恵がなくてすいません」と言われるならまだしも、負担を押しつけていて「甘えるな」などと言われる筋合いはない。(K)※敬称略