08年の天皇賞・春を制したアドマイヤジュピタが老衰のため死んだ。20歳だった。28日にけい養先のノーザンホースパーク(北海道苫小牧市)が公式X(旧ツイッター)で発表した。

素質を評価されながら骨折もあってクラシックには出走できなかったが、古馬になって開花。4歳秋の07年アルゼンチン共和国杯で重賞初挑戦初制覇を果たし、翌08年天皇賞・春を3番人気で勝利した。いまや西の名門となった友道厩舎のG1初制覇だった。同馬を悼み、08年天皇賞・春の優勝原稿を復刻する(年齢は当時。岩田騎手は岩田康騎手)。

 ◇  ◇  ◇

岩田ジュピタが戴冠! 「第137回天皇賞・春」は、単勝3番人気に支持されたアドマイヤジュピタ(牡5、友道)が制し、古馬の頂点に立った。出遅れるアクシデントがありながら、最後は持ち前の瞬発力でメイショウサムソンの追い上げを振り切って勝利。岩田康誠騎手(34)は天皇賞初制覇、友道康夫調教師(44)はうれしいG1初勝利となった。今後、同馬はいったん休養し、秋に備えられる。2着にはサムソン、1番人気アサクサキングスは3着に敗れた。

“信頼”の手綱は直線入り口で動き出した。

「ジュピタの瞬発力を信じていた」

鞍上・岩田騎手は、満を持してアドマイヤジュピタにGOサインを送った。前を行くメイショウサムソンをとらえ、先頭に立つ。勝った! そう思った瞬間、内から昨年の覇者が底力で盛り返してきた。

「辛抱してくれ!」

ひたすら願って追った。最後はアタマ差。人馬の信頼関係が、最後のひと踏ん張りをもたらした。

スタート直後、8万観衆は悲鳴をあげた。大外枠で最後にゲート入りした岩田ジュピタが、出遅れた。

「やってしまった…。スタンドからの『あー』という声が聞こえた。俺やな…とわかった(苦笑)」

しかし、焦らない。乗り手に従順なジュピタの特性を鞍上は知り尽くしていた。「馬の方が賢いから」。レース後は謙そんしたが、何事もなかったかのようにサムソンの直後、後方4番手で落ち着かせた。あとは相棒の瞬発力を信じ、ジュピタもまた合図をじっと待った。人馬の絆で、待望だった春の盾をつかんだ。

岩田騎手にとって今春、これ以上ない“刺激”があった。同じ園田競馬所属だった小牧太騎手が桜花賞でJRA移籍後初めてG1を制した。園田時代は超えるべき存在として意識し、JRA移籍後は先に実績を積み上げた。強烈なまでのライバル心を見せながら、桜花賞後には人知れずシャンパンを送っていた。

「G1を勝つってすごいこと。表彰台からスタンドを見ると、おぉ…と本当に気持ちがいいんやで」

自身、国内外合わせて5度目のG1勝利。「この馬で年度代表馬を取る」とまで期待するジュピタで、古馬路線の第1戦を制した。

管理する友道師は人目をはばからず泣いた。悲願のG1初制覇だった。しかも、骨折で一度は競走馬生命も危ぶまれた愛馬ジュピタで…。「今も骨折した日のことは忘れない。でも、幸い折れ方が良くて、ボルトで固定できた。能力が失われなかったことは、不幸中の幸いだった」。今も右後肢に残るボルト。06年、メイショウサムソンが勝ったダービーの、候補の1頭だったジュピタが、約2年の“遠回り”を糧にして、同い年のライバルに勝った。

今後は秋まで休養予定。国内か海外か、いずれにしろ夢は大きく広がる。「今年の古馬路線はジュピタと一緒に歩んでいきたい」。岩田騎手は最高の笑顔を見せた。愛馬を信じ続けた陣営の思いは、春の盾という最高の形で結実した。【伊嶋健一郎】