支線シリーズの第4弾は阪神電車の武庫川線。2キロに満たない路線ながら、歴史の証人でもあり、見どころも多い。私にとっては近場なので掲載はまだ先でも、と思っていたが、先日、阪神電車にとっては大きな転換期となる「赤銅色とのお別れ」が発表されたため(写真1)、支線シリーズを連投して早めの掲載となりました。(今回撮影でない写真も含まれています)
武庫川線の起点は武庫川駅である(写真2)。文字通り武庫川にある駅で、武庫川を渡る鉄橋に駅が設置されている。昨年9月5日の記事で土讃線の土佐北川駅を書いた。テレビ番組などで鉄橋上の駅として、よく取り上げられるが、武庫川駅も構造は全く同じ。ただ上下合わせて1日9本の土佐北川に対し、1時間でその倍ぐらいの電車が停車する武庫川はテレビ的な妙味がないのか、ほとんど扱われない。他にもいろいろ語りたい駅ではあるが、今回の主役は武庫川線なので次に移ろう。
阪神本線と垂直な形でスタートする武庫川線には本線からの渡り線をスイッチバックさせる形で電車を入れる。2両編成と決まっているが、ここで使用される車両が今回の主役。長年、阪神電車を見てきた人にとっては、おなじみの赤銅色。かつての阪神は青色が普通、赤銅色が優等列車と決まっていた。前者は基本的に今も同じだが後者は変化している。特に1995年の阪神淡路大震災後の動きが大きく、伝統の赤銅色はいつの間にか全1・7キロの普通しか走らない武庫川線でしか見られなくなってしまった。
その赤銅色車両の「卒業」が先日、発表された。武庫川線用の新車両導入は5月末。その日まで現在の車両が運行されるのかどうかは分からないが、時間がないことに変わりはない。武庫川駅へ直行である。引き込み線上には赤銅色が待機していた。20分に1本の運行である昼間は1編成が折り返し運転を続けるが、本数の増える朝夕はさらに1編成が入る。そのための待機車両はすでに鉄道ファンの撮影対象となっているようだ。私も乗り込むことにしよう。(写真3、4)
武庫川線は武庫川に沿って真っすぐ南下し、終点の武庫川団地前へと向かう。すべてが単線。実に味気ない路線となっているが、それは成り立ちに大きく起因する。開業は1943年と、まさに戦争まっただ中。軍需工場への資材、従業員運搬のために慌ただしく敷設された。線路は武庫川から北上し、国道2号線を経て甲子園口駅で国鉄(現JR)に合流していた。甲子園口の下り列車線(新快速や貨物などが走る線)にホームがないのは当時のなごりだが、建設事情からの突貫工事が、今の線形を物語っている。
人間でいえば50歳ぐらいの赤銅車は片側開き(写真5)。乗降の便を図るため、現在の通勤車両はJR、私鉄とも両開きが基本だ。私は高校の3年間と予備校時代の1年間の計4年間、阪神で通学していたので、武庫川線に乗るたびに懐かしさが募る。ただ懐かしさに浸る暇もないほど、いずれも無人駅である東鳴尾、洲先、武庫川団地前とすべての駅をあっという間に制覇してしまった(写真6~9)。散歩でもちょうどよいくらいの距離だ。これだけではあまりにも愛想がないので、西に足を伸ばすことにする。
歩くと、かつて軍需工場だった一帯はかなり広大だったことが分かる。軍需工場は鳴尾競馬場(阪神競馬場)を戦争激化のために接収したもので、飛行場も併設されたため広い用地となっている。確かに広いはずで競馬場の中には陸上競技場や野球場が設けられ、野球場では全国高校野球の前身にあたる全国中等学校野球大会の第3回大会(1917年)から第9回大会が開催されている。
中学野球は甲子園球場の完成によって場所を変え、阪神競馬場は戦後、現在の仁川に新たに開場した。武庫川女子大附属中等学校・高等学校に残るかつての競馬場の正面玄関を見ながら、しばらく歩くと浜甲子園運動公園と鳴尾浜公園(※)が並んでいて鳴尾浜公園には中等野球大会開催の地の記念碑がある(写真10、11)。鉄路だけでなく武庫川沿いの散策、そして歴史を感じる場所も訪れてほしい路線である。【高木茂久】
※運動公園と鳴尾浜公園は武庫川団地前駅のほぼ西にあるが、川に阻まれて真っ直ぐ西に進むことはできないため、東鳴尾駅からの徒歩が道路も広く分かりやすい。徒歩約20分。阪神甲子園駅から運動公園前へのバスもある。