■「老い」と「死」の受容

有名な精神医学者、キューブラー・ロスは、「死の受容のプロセス」として、死にゆく人の心の変化を5段階で捉えています。

末期がんで助からないとわかったとき、<1>「否認」。そんなことあるはずがないと考えます。<2>「怒り」。どうして俺が…と納得できません。<3>「取引」。神や仏など何かにすがろうとし、やがて<4>「抑うつ」状態となる。しかし多くの人は最後に<5>「受容」へ向かうのです。

■納得が大事

これが大きな要因となって、病気を告知することの意義が広がっていきました。つらくてもきちんと説明・告知をした方が、患者は受容へ向かって病気と向き合うことができると言われるようになったのです。

「老い」にも当てはまるのではないかと思っています。老いの前兆のようなものが出てきたとき、いや俺はまだまだだよと否認したり、冗談じゃないと怒りの気持ちが湧いたりしますが、そんな反応をしながら、徐々に受容・納得していくのです。

■老いを笑い飛ばす

児童文学の世界で有名な女性が入院してきました。当時87歳。ユーモアが大事とぼくに言いながら、「全ての道はローバ(老婆)に通ずる」。面白い。笑ってしまいました。もう1発、笑いのパンチがやってきた。「ローバは1日にしてならず」。2人で大笑い。死や老いを笑いにまぶしてしまうことは、とても大事です。

自分から「じじいだから」と言えるようになったら、もう「老い」を上手に利用しながら生きている。ぼくもそろそろ、その入り口にやってきました。