今年の大リーグは、ブルワーズが初の世界一となり幕を閉じました。その時、真っ先に思い浮かんだのは私の師匠であり、大リーグ通の第一人者だったパンチョこと伊東一雄さんでした。なぜなら、ブルワーズとは親密な関係にあったからです。
1969年ア・リーグ球団数拡張の際にシアトル・パイロッツが発足し、翌70年にわずか1年でミルウォーキーに本拠地移転しブルワーズと改称。その球団を買い取ったのが町の財界人のトップと言えるバド・セリグ氏であり、同氏とパンチョさんは非常に親しく、家族ぐるみの付き合いでした。
長年パ・リーグ広報部長を務めたパンチョさんには、古くからの友人もいました。57年当時ミルウォーキーに本拠を置くブレーブスが世界一に輝いた時の遊撃手で、64年南海(現ソフトバンク)に入団。現役引退後はブルワーズ専属のテレビ解説者を務めたジョニー・ローガンで、いつも歓迎してくれました。
また、63年に西鉄(現西武)で中西太監督のもと、トニー・ロイ、ジョージ・ウイルソンと共に大活躍し、奇跡の逆転優勝に大きく貢献。日本で5年間プレーした後、74年ブルワーズのGMにまで登り詰め、来日外国人選手の出世頭と言えるジム・バーマとも連絡を取り合う仲でした。
92年大リーグのコミッショナー代行に任命され、98年に正式に第9代コミッショナーとなったセリグ氏に代わり、全30球団で唯一の女性オーナーとなった娘のウェンディーさんとも親しい間柄でした。それとパンチョさんは生涯独身だったため、彼女の娘を孫のように可愛がっていました。
そのウェイディー新オーナーはいろいろな計画を実行に移し、まずは99年に日本人大リーガーのパイオニア野茂英雄投手を獲得。また、73~76年ロッテ時代にパンチョさんが親しくし、私も一緒に食事したジム・ラフィーバーを監督代行に据えるなど、ますます親密な関係となりました。
2001年にブルワーズの新球場ミラーパーク(現アメリカンファミリーフィールド)がオープンすると、パンチョさんは早速、新しい開閉式ドーム球場の視察に行きました。ところが、渡米前から肩や背中に激痛を覚え、帰国後ただちに入院。私が病院へお見舞いに行くと、病室にウェンディーさんの娘の写真も飾ってありました。
長い闘病生活の末、パンチョさんは翌年7月4日アメリカの独立記念日に帰らぬ人に…。その5日後ミルウォーキーでMLBのオールスターゲームが開催された時、場内の電光掲示板にはパンチョさんを追悼するメッセージと写真が大きく映し出され、生前の功績をたたえていたのには驚きました。
それぐらい米球界やブルワーズにとってもパンチョさんは特別な存在でした。今年ワールドシリーズ第1戦で旧知のセリグ氏が、始球式のボールを殿堂入りロビン・ヨーントに手渡し、初の世界一に輝く歴史的瞬間をパンチョさんに見て欲しかったです。きっと、天国でブルワーズの世界一を喜んでいることでしょう。【大リーグ研究家・福島良一】(ニッカンスポーツ・コム/MLBコラム「福島良一の大リーグIt's showtime!」)




