白球をやりに持ち替えて世界に挑む。14日にロンドンで開幕する世界パラ陸上選手権の男子やり投げ(切断などF46)に初出場する山崎晃裕(21=関東パラ陸上競技協会)は元高校球児。先天性右手欠損の障害がありながら健常者と一緒にプレーしていた。やり投げ歴は1年8カ月だが、すでに日本選手権を連覇し、日本記録も保持する。ロンドンで世界デビューを飾り、3年後の東京パラリンピックで頂点へ―。山崎、そして日本の若きパラアスリートたちが夢へ第1歩を踏み出す。


●「ロンドン」経由「東京」メダルだ


 瞬く間に世界へ駆け上がった。やり投げを始めて1年8カ月、2シーズン目。それでも山崎ははっきりと青写真を口にした。「55メートル超えの自己ベストで表彰台を狙いたい。東京ではプラス10メートル、65メートル以上で金メダルを取りたいです」。F46クラスは開幕日の14日、現地時間の午後8時開始予定。その左腕から放つやりで日本チームの先陣を切る。


 「あの日から人生が変わりました」。15年11月3日、パラアスリート対象の人材発掘イベントに友人に誘われ参加した。野球で培った遠投100メートルの強肩がパラ陸連関係者の目に留まる。5カ月後の昨年4月には中国の国際大会で54メートル48を投げて28年ぶりの日本新。日本選手権も制した。

 小学3年から野球一筋だった。左手でボールとグラブを素早く持ち替えながら投手、内外野をこなした。埼玉の山村国際高では一時背番号1も背負った。3年夏の県大会3回戦では代打逆転2点二塁打でヒーローになった。東京国際大進学後は身体障がい者野球チームの東京ブルーサンダースに加入。14年には日本代表の1番、左翼手として世界選手権準優勝の原動力になり、優秀選手賞にも輝いた。だから最初は両立も考えた。ただ「やり投げを始めて分かりました。甘くない。東京に集中です。野球は何歳になってもできますから」と迷いも吹っ切れた。


 リオデジャネイロ代表を逃した悔しさからオフに全身を鍛え上げて今季を迎えた。春の2度の海外遠征では低調も、フォーム修正後の6月の日本選手権は51メートル56の大会新、今季世界6位の記録で連覇。助走からリリースまで右重心、両肩を水平に保つ意識でやりに助走スピードと体重を乗せる感覚がつかめた。「去年は肩の力だけ。今は理屈が分かって距離が出ている感じ。日本新の時より状態はいい」と進化を実感する。

 そんな山崎に日本代表の佐藤コーチは厳しい目を向ける。「始めて1年で、まあまあですかね。努力次第で60メートルは投げられる。東京でメダルも取れる。でも、金というわけではない。簡単ではないんです」。ただ「若いうちに出会えてよかった」と世界で戦える素材だと認めている。現在の世界トップはデベンドラ(インド)。リオの金メダルスロー63メートル97は世界記録だ。山崎が「東京で65メートル以上」と言う根拠でもある。

 「(デベンドラは)まだ試合で戦ったことも、会ったこともない。世界選手権には出てくると思うので楽しみにしています」。山崎のやりがロンドンで王者に、世界にどんなインパクトを与えるのか。3年後への戦いのスタートでもある。【小堀泰男】


 ◆山崎晃裕(やまざき・あきひろ)1995年(平7)12月23日、埼玉県生まれ。小学3年から野球を始め、MLBで隻腕投手として知られたジム・アボットの「アボットスイッチ」をマスターした。鶴ケ島西中では二塁手、投手。山村国際高では2年の秋に背番号1を与えられ、3年夏の埼玉大会では背番号7。14年11月に兵庫県で開催された世界身体障がい者野球大会に日本代表メンバーとして出場。東京国際大ではスポーツ科学を学んでいる。家族構成は両親、祖母、姉。167センチ、78キロ。


 ◆世界パラ陸上選手権 国際パラリンピック委員会(IPC)が創設し、1994年にドイツ・ベルリンで第1回が開催された。当初は4年に1度だったが、11年から2年に1度の開催になった。今年は7月14日から23日までロンドンの五輪スタジアムで開催される。


山村国際高時代の山崎
山村国際高時代の山崎