世界ランク6位のLS北見が、日本勢初の銅メダルを獲得した。3位決定戦で同4位の英国と激突。スキップ藤沢五月(26)を中心に相手にプレッシャーをかけ、同点の第9エンド(E)から2連続スチールで5-3で逆転勝ちした。98年長野オリンピック(五輪)から6大会連続の挑戦で、この競技で男女通じて初のメダルを手にした。ジュニア時代から期待を集めた天才スキップが、故郷・北海道に里帰りし、大輪の花を咲かせた。

 劇的な幕切れに、藤沢は目を見開いてスティックを振り上げた。4-3で迎えた不利な先攻の最終10E、2失点で逆転負けの危機。吉田知と「簡単なショットにしちゃったね」と言い合い顔をしかめた。相手はソチ五輪銅のミュアヘッドで負けを覚悟した。英国の最後の石と自軍の石が激しくぶつかり合う。一瞬の静寂後、滑るようにハウス中央に出てきたのは黄色い日本の石だった。

 5-3でいきなり決着して「信じられない気持ち」。本橋ら5人で涙を流して抱き合った。98年長野五輪から20年で初メダル。「ほぼ負け試合で『なにやってんだ、あー』という感じで、思っていた。でも最後は自分を信じて仲間を信じて、投げました」と喜んだ。

 3人きょうだいの末っ子で負けず嫌い。父充昌さん(58)は「オセロで次に置いたら負け、という状況になったら石を置かなかった」と笑う。中部電力時代の先輩市川美余さんは「どんな話も一生懸命メモした」。生真面目さは勝負弱さにつながる。14年ソチ五輪代表選考で敗北。「私の責任」と泣いてふさぎ込んだ。父は「ふらっと(線路に)飛び込むんじゃないかってぐらい暗かった」。心配した母尚子さん(58)が1週間、長野に泊まった。

 14年春、主将でサードの市川さんが引退。新チームは翌シーズンの日本選手権で6位。藤沢は「このままでは五輪にいけない」と覚悟した。物足りなさから、仲間と歩み寄れない。15年3月、最後のミーティングで涙を流した。「チャレンジしたい。私は五輪に行きたい」と退社した。

 実業団の恵まれた境遇を捨てた。同年5月、故郷の北見市で本橋が創設したLS北見に加入。同じスキップの自分を誘った本橋の厚意も感じた。加入直後、大森コーチが考案した競技に特化した練習メニューに30分もついていけず「やらなきゃ」と焦った。「与えられる環境でやるだけじゃだめなんだ」。勝負弱さを克服するため、やせ我慢でも笑った。

 チームのトレードマークでもある笑顔の裏には、悲しみがある。他のメンバーもそうだ。セカンド鈴木は「半年ほぼニート」と引退を考えた。リード吉田夕はソチ五輪に出た姉知那美に嫉妬し、その姉はソチで戦力外通告を受けた。本橋は「カー娘」ブームと、勝てない現実に苦しんだ。笑顔で隠さないと、耐えられなかった。日本勢初の銅メダル。26歳のスキップは「早く帰ってお父さんにメダルを見せたいなと思います」。何1つ隠すものがない、無邪気な顔で笑った。【益田一弘】