訓練生時代にヘルメットとカポックを装着した岡野記者
訓練生時代にヘルメットとカポックを装着した岡野記者

今回の「大時計の向こう側」は児島、丸亀など中四国のボートレース場を主に担当している岡野修一記者(60)の一人語りでお届けします。選手養成所の門をたたき、平石和男、三角哲男ら58期の面々と汗を流した経験もある岡野記者。あの横山やすしさんも登場する面白人生をお楽しみください。

同期で同じ年齢の訓練生と写真に納まる岡野記者(右)
同期で同じ年齢の訓練生と写真に納まる岡野記者(右)

私が生まれたのは1964(昭39)年、東京五輪の年です。岡山・児島在住60年。小学生の頃、夏休みに行われていた、ゴムボート大会で児島ボート場に行く機会はよくありましたね。父親が好きだったこともあり、その頃から大きくなったらボート選手になれたら、と思う気持ちがありました。

高校時代はバレーボール部。身長は低いけど、筋肉が付いて体重は60キロ前後ありました。選手の試験を受けるために3カ月前から減量に取り組んだのですが、なかなか落ちなくて苦労しました。それでも選手に憧れて58期の試験を受けたら一発で合格。その当時は本栖研修所(山梨県)という山の中で1年の訓練でした。

確か入所時は50人くらいいたのですが、1カ月目の間に数人が辞めていき、3カ月、6カ月と過ぎ約半分くらいに減りました。養成所では減量の反動で、食事をするとすぐに体重が増えて、他が食事をしている時はカッパを着てランニングをしたり、乾燥室に行ってボイラーのぬくもりをサウナ代わりにしたりと、絶えず減量はつきものでした。

軽い方がエンジンに負担がかからないのはよく分かります。58期の実技教官は本田泰三さんでした。その時に教わった「一期一会」から「一期一笑」が、今の私の紙上コラムのタイトルになっています。約7カ月ボート選手を目指したんですが、プロ養成所の世界は厳しく挫折しました。

訓練所時代の制服を着る岡野記者
訓練所時代の制服を着る岡野記者

「もう2度とボートのことは…」と思っていたのですが、家にいても風向きによってはエンジンの音が聞こえて来るんですよね。ふと昔に通った川でボートが走っているのを思い出し、見学に行ったのが「岡南モーターボートレーシング」というクラブの練習場所でした。見学だけのつもりが、乗らせてもらうと、何とも言えない爽快感に心が揺らぎ、即入会です。手作り感満載のピットに大時計もちゃんとありました。時々、あの横山やすしさんも参加していて、一緒に走った経験もあります。

そのクラブにいた方に誘われてボートレース専門紙に入り、ピット担当から児島本紙担当になり、30年の記者歴ですが、日刊スポーツでは1年目の新人です。

あれから約40年になりますが、同期で残っているのは星野政彦、平石和男、三角哲男、田頭実の4人です。池上裕次、柳沢千春、大島聖子ら、SG覇者やレディースチャンピオンで優勝している優秀な期で、一緒に訓練をできたことを光栄に思っています。まだ4人が頑張っている以上、私も記者として応援し続けたいと思っています。

岡野記者が横山やすしさんからもらったメッセージ入りのサイン
岡野記者が横山やすしさんからもらったメッセージ入りのサイン