今月上旬に発表されたノーベル賞で、がん治療が大きな話題となっている。今やがんは国民病と言われ、生きようと懸命に闘っている患者は多い。「コウ君」もまた、その1人である。

元サッカー少年。先が見えずに長引く闘病生活、それでも明るさを失っていない。

「高校3年間は楽しかった。病気になる前も、なった後も、すごい楽しかった。東京に来たのはいい選択だったと思います」

高校2年夏の練習試合、左足シュートでゴールを狙うコウ君(撮影・田口守氏)
高校2年夏の練習試合、左足シュートでゴールを狙うコウ君(撮影・田口守氏)
ゴールを決め、満面の笑みを浮かべるコウ君(撮影・田口守氏)
ゴールを決め、満面の笑みを浮かべるコウ君(撮影・田口守氏)

■骨肉種に「自分が?」

愛知県出身。父親が単身赴任していた東京へ、高校進学を機に母と妹と一緒に引っ越してきた。入学した高校は、サッカー環境が整った都内有数の実力校だ。OBには元日本代表でワールドカップにも出場した名選手がいる。入学当初、同学年だけで部員は90人以上いた。コウ君も中学時代は地区選抜にも入ったミッドフィルダーだった。どんな選手だったの? そう尋ねると、表情が緩んだ。

「両足扱えることと、足もとコネコネ。自分ではテクニックがあると思っていたので、そこはCチームのカテゴリーのコーチから評価されていたと思います。あとシュートには自信がありました。自分で言うのもなんですが、シュートはうまいと思っていました」

そう言うと、屈託のない笑顔を向ける。サッカーが大好きで仕方ない。そんな思いが伝わってきた。

高校2年の夏、左膝に違和感を覚えた。暑さが去り秋を迎えた頃、違和感は激痛へと変わった。整骨院で診断を受けたところ「成長痛」だった。だがサッカーを休んでも、痛みは治まるどころかひどくなった。正座ができなくなった。

「友達はみんな腫瘍だと思っていなくて。家族や彼女だけには『夜眠れない。熱を持っている』って。彼女はよく『早く大きい病院に行きなよ』って。でも『そんなことないよ』って自分が言っていたので」

もう冬を迎えようとしていた。周囲にうながされ、大きな病院でMRI検査をした。すると、左大腿(だいたい)骨の骨肉腫と診断された。

「初めて聞かされた時は『自分が?』と動揺しました。たまたま車いすバスケの漫画『リアル』というのを読み返していて、そこで骨肉腫という病気を知っていて…。スラムダンクの井上先生の漫画は好きで家にありました。なんで読み返していたのか、よく覚えてないんですけど」

仲間たちが動いた。同期のサッカー部員、マネジャー、女子サッカー部を中心に作成された千羽鶴に、分厚い冊子を手渡された。同期全員が参加してのメッセージカードだった。常にお前の隣には俺たちがついている-。まさに「お守り」だった。

抗がん剤治療を経て翌春には腫瘍患部を取り除く手術を受けた。左の膝は人工関節に代わり、周囲の筋肉も大きく削られた。治療の経過は順調だと思われた。だが半年もたたない9月11日、がんの転移が分かった。さらに9月23日、不運が重なる。

マネジャーとして復帰していた練習中に足元にボールが転がってきた。つい我慢できず、右足で軽くコロコロと蹴り返そうとした。雨でぬれた人工芝に滑り、転倒した。足があらぬ方向に曲がっていた。人工関節が入っている患部の、その周辺の骨が折れてしまった。その日以来、松葉づえなしには歩けなくなった。もちろんサッカーボールを蹴ったこともない。

仲間がつくってくれた「お守り」の千羽鶴
仲間がつくってくれた「お守り」の千羽鶴

■アンプティサッカーしたい

あれから1年がたち、今も転移したがんと闘っている。今年の8月には彼女や信頼できる仲間たちへ現状をあらためて報告した。そして今、こう話す。

「僕はあきらめていない。周りのこともあってまだまだ生きたいし、夢も見つかったんです」

その夢とは「アンプティサッカー」だ。アンプティサッカーとは主に上肢、下肢の切断障がいを持った選手がプレーするサッカーのこと。片手、片足を失った選手たちが松葉づえを突きながらプレーしている。彼の場合、左足はあるのだが、もう曲がらない状態になっている。

「がん治療の入院中に仲良くなった友達がいて、僕が入院中に彼は足を切断しました。それでも彼は前向きで明るく、すごく元気に飛び跳ねている。僕は骨折して(松葉づえで)慎重に歩かなければいけなくて、彼のそんな元気な姿がとてもうらやましいと思って見ていました。そこへアンプティサッカーを知って、自分にもまだサッカーをやれる道があるんだと知った」

寝ても覚めてもサッカーへの思いは変わらず、今もその夢を見る。

「病気が見つかって感じたことがあります。サッカーは思っていた以上に自分の中では大きくて、できないことがつらい。見るのも好きなんですけど、やりたい。思いっきりコケたい。お母さんに動画を見せて『俺、こういう風に転んだりしたいんだよね』って」

全力でプレーしていた頃の喜びは忘れられない。だから、がんを克服した先には左足を切断し、ピッチで思い切り飛び跳ねたい。大好きだったサッカーをもう一度…、その願いは強い。

これまで骨肉腫と闘う若者を取材してきた。そこでよく聞いた話は「治療薬の少なさ」だった。100万人に1人という希少がんゆえ国からの予算がつきづらく、まだまだ研究が追いついていない。それでいて患者ごとに症状が異なり、がん細胞が転移しやすい厄介な病気である。そんな環境が一刻も早く変わることを期待してやまない。

コウ君の自宅を後にした帰り道、雨上がりの通りにはキンモクセイの香りが漂い、見上げた空には美しい夕焼け雲が広がった。

コウ君の夢がかないますように-。

そう願い、さらなる進化を遂げるであろう医学の未来に思いをはせた。

【佐藤隆志】(ニッカンスポーツ・コム/サッカーコラム「サカバカ日誌」)