ラグビー

同大「楽苦美」代表に脈々と流れる岡・平尾イズム

<大学と日本代表(5)>

大学ラグビーに焦点を当てるシリーズ最終回は、同大。1982年度から大学選手権3連覇を果たしている。「自由奔放」なラグビーを作り上げ「自主性」を重んじたのが岡仁詩部長(享年77)であり、その中心選手だった平尾誠二(享年53)が、日本代表にそれを伝承した。前回ワールドカップ(W杯)の南ア戦の劇的トライこそが、岡・平尾イズムの象徴であった。

85年1月、大学選手権決勝の同大-慶大戦で先制トライを挙げる同大の平尾誠二
85年1月、大学選手権決勝の同大-慶大戦で先制トライを挙げる同大の平尾誠二

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同大ラグビー部は、1980年度に大学選手権で初優勝し、1年おいて82年度から前人未到の3連覇を果たした。

京都市左京区の比叡山を仰ぐ岩倉グラウンド。試合を前に、先発を選ぶABマッチ(1本目対2本目)は、味方同士が壮絶な戦いを繰り広げ、けが人が続出する激しいものだった。そんな全体練習が2時間ほどで終わり、あとは自主練習が比叡おろしでシンシンと冷えるグラウンドで、真っ暗になるまで続いた。大八木がベンチプレスで筋トレをし、平尾らプレースキッカーは、何度も角度を変えながらゴールめがけて蹴り上げる。ラインアウトのスロワーは、バスケットリングに投げ入れる練習をして正確なスローを磨いた。

「やらされる練習より、自分たちで考える練習が身につく」と言っていたのが、岡部長だった。岡さんはヘッドコーチでも監督でもなく、肩書は「部長」。日本代表監督の経験もあり、今では当たり前のようにやるショートラインアウトを考案したといわれている独創的で先進的な人だった。

そんな岡部長が常々言っていた。「私はせいぜいハーフタイムにアドバイスを送るだけで、試合中には何もできないからキャプテンを中心に自分たちで考え、自由にやらせるんだ。だから監督でもヘッドコーチでもなく部長でいいんだ」。

その岡部長の持論を忠実に体現したのが、平尾だった。3連覇の間、SOやCTBで縦横無尽に走り回った。意表を突くキックパス、突然のドロップゴール、パスとみせかけ自分で走る。飛ばしパスなど、型にとらわれない、見ていて楽しいラグビーをやった。のちに平尾は99年の第4回W杯で代表監督になるが、マコーミックを初の外国出身の主将に任命するなど、旧態依然の考えを捨てた、柔軟で先進的な指導者だった。これは恩師の岡部長からの教えであり、平尾が同大から神戸製鋼での現役時代に培っていったものだ。

自分たちの考えでプレーする意識も、平尾が代表監督時代から伝承してきた。W杯南ア戦の歴史的勝利はPGを狙わずリーチ主将を中心に考えた末、スクラムを選択、逆転トライに結びつけた。これこそ、フィールド内の自主性を持つ15人によるマネジメントだった。

現代表に同大出身者はいない。それでも脈々と岡・平尾イズムは流れている。そういえば、岡さんは色紙にこう書いた。「楽苦美」。楽しくて、苦しくて、美しい。そんなラグビーを、W杯の大舞台で日本代表もきっと見せてくれるはずだ。【町野直人】

◆同大ラグビー部 1911年創部、慶応義塾、京都三高に次ぐ、日本で3番目の歴史を持つラグビーチーム。61年度に日本選手権の前身であるNHK杯で初の日本一になり、63年度の第1回日本選手権で近鉄を破り、2度目の日本一に輝いた。関西協会会長の「空飛ぶウイング」坂田好弘氏や「ミスターラグビー」といわれた故平尾誠二氏ら数多くの日本代表選手を輩出している、関東の早慶明とともに、関西の雄といわれる大学ラグビーの伝統校。

◆W杯の日本代表に選出された同大出身選手 木村敏隆、広瀬務、大八木淳史、林敏之、宮本勝文、萩本光威、平尾誠二、松尾勝博、細川隆弘、弘津英司、中村直人、中道紀和、平尾剛史、大西将太郎、平浩二、宇薄岳央。

83年1月、日本選手権の新日鉄釜石-同大戦を見つめる同大・岡仁詩部長
83年1月、日本選手権の新日鉄釜石-同大戦を見つめる同大・岡仁詩部長

ラグビーW杯日本大会開幕は9月20日。いよいよカウントダウンに入ります。日刊スポーツ新聞社では開幕まで1年間。「ラグビーW杯がやってくる」と題して連載します。会場、選手のこだわり等、あらゆる角度から1年間、ラグビーを掘り下げます。

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