08年北京、12年ロンドン両五輪銀メダリスト、フェンシング界の元エース太田雄貴氏(33)は17年に日本フェンシング協会の会長に就任した。日本フェンシング史上初の五輪メダリストは就任後、さまざまな「太田改革」を行い、注目を集めている。20年東京五輪に向けた新プロジェクトなど、頭の中に新たなチャレンジを温めている。全ては“脱・太田雄貴”のため-。これまでの、そしてこれからの改革について、太田会長に聞いた。【取材・構成=佐々木隆史】


インタビューに答える日本フェンシング協会太田会長(撮影・河田真司)
インタビューに答える日本フェンシング協会太田会長(撮影・河田真司)

20年東京五輪の試合会場を想像し、太田会長は笑みを浮かべた。さらなる改革が、すでに頭の中にあるからだ。

太田会長 「フェンシング・ビジュアライズド(=フェンシングの可視化)」です。リプレーで剣が光るようにしようと思っています。今年の全日本選手権では、かなりいいものができると思いますよ。

昨年の全日本選手権を、初めて東京グローブ座で開催した。普段は演劇などが行われる劇場型の会場に、選手の心拍数を示す観客用モニターを設置。緊張の具合などを、データでイメージしやすい仕組みにした。カラフルなLEDを用いて会場全体を照らしたり、どちらにポイントが入ったかを分かりやすく表示。さらに、試合前にはエキストラによるフェンシングのショーを行うなど、スポーツの枠を超えエンターテインメント性に富んだ大会とした。


18年12月、フェンシング全日本選手権の男女各種目決勝が行われた東京グローブ座
18年12月、フェンシング全日本選手権の男女各種目決勝が行われた東京グローブ座

そこで、デモンストレーションとして流された映像が「フェンシング・ビジュアライズド」だった。剣先の軌跡を可視化するもので、肉眼では分かりづらい素早い剣先の攻防が、イメージしやすくなる仕掛けだ。さながら映画「スター・ウォーズ」に登場する武器「ライトセーバー」による戦いのように、リプレー映像の剣先が鮮やかに光り輝く。そんな仕掛けを、今年の全日本選手権決勝で実施する計画が着々と進んでいる。そして、東京五輪での導入も視野に入れる。

太田会長 すでに東京五輪でやるために、実際に組織委員会とも交渉している。資金的な問題だけでなく、どれだけ安定したものを提供できるのかという問題もある。国際映像にのせるので、生半可なものは駄目。簡単に越えられる壁ならやらない。だからチャレンジするんです。


18年全日本選手権でデモンストレーション映像として会場のモニターに流された「フェンシング・ビジュアライズド」
18年全日本選手権でデモンストレーション映像として会場のモニターに流された「フェンシング・ビジュアライズド」

11月の全日本選手権決勝は、現在建て替え中で10月に完成予定の渋谷公会堂で行われる。LEDでライトアップされた会場で、選手らが華麗に戦う。そして「フェンシング・ビジュアライズド」などの演出で、より一層エンターテインメント性に富んだ大会へと昇華させる。

太田会長 選手と協会の関係は美術品と一緒です。どんなにいい美術品でも、展示の仕方が悪いと輝きません。いい照明、お客さんが見る位置、空調とかが大事。アスリートも同じ。ロンドン五輪直後の2013年の全日本選手権はガラガラだったけど、去年は満員だった。2013年の方がレベルが高かったとしても、全く違う競技に見える。見せ方を変えるだけで、人は感動するんです。

会長になって約2年。フェンシングをより魅力的な競技にしようとする一方で、就任最初に着手した改革は人事だった。

太田会長 人事はメッセージ。数で押し通す理事会運営から脱却したかった。スポーツ界によくある話だけど、理事とか執行部の構成を、つい(同じ出身)大学とかで固めてしまいがちなところがあった。最大10人の執行部をたった4人にして、この2年間走り抜きました。


18年12月、フェンシング全日本選手権の個人戦・女子フルーレ決勝でモニターに映された心拍数のデータ
18年12月、フェンシング全日本選手権の個人戦・女子フルーレ決勝でモニターに映された心拍数のデータ

学閥や長年の付き合いなどから生じてしまう、なれ合いからの脱却が最初の改革。風通しのいい協会運営にし、負担は増えたが身軽になった。親交があった全日本スキー連盟の皆川賢太郎競技本部長から、人事への着手を勧められたことも大きかった。

今年1月には、フェンシング協会の人事に、さらに新しい風を取り入れた。即戦力人材と企業をつなぐ転職サイト「ビズリーチ」と組んで、副業・兼業限定の戦略プロデューサー4職種を公募し、採用した。

太田会長 あれは地味に効いている。PRの面でいうと、すぐにメディア各社へ大会情報を渡せるようになったし、誰に何を届けるということが明確になった。最近、露出が上がってきたのは実は後方支援がいいからなんですよ。

他業界のプロフェッショナルが集結したことで、確実に協会の体制は改善された。2年間という長いようで短い期間で、フェンシング協会を再建しつつある。


リオデジャネイロ五輪での太田会長(左)
リオデジャネイロ五輪での太田会長(左)

日本フェンシング界のために、さまざまな分野にアンテナを張り、アプローチし続けている。しかし太田会長の脳裏には、意外な日本フェンシング界の未来があった。

太田会長 「脱・太田雄貴」を早くしたい。僕がいなくても回る協会運営を目指していく。本当に価値が出てくれば、フェンシング関係以外からも支持されるようになる。このタイミングで国際フェンシング連盟の副会長になれたのも大きい。まずは東京五輪に向けて尽力する。20年東京五輪の成功なくして、日本フェンシング界のレガシー(遺産)は作れませんから。


★太田会長の改革

17年 全日本選手権でLEDを用い、どちらにポイントがついたのかを分かりやすく表示する演出を実施。会場で場内ラジオを配布し、観客が試合を見ながら競技解説を聴けるようにした。

18年 全日本選手権を初めて東京グローブ座で開催。大会ポスター作製で写真家・蜷川実花氏を起用し、会場に選手の心拍数が分かるモニターを設置。大会を盛り上げるためDJも起用するなどして話題を呼び、発売開始40時間で全700席が完売。

19年 転職サイト「ビズリーチ」とタッグを組み、副業・兼業限定の戦略プロデューサー4職種を公募。1127人の応募が集まり、採用した4人が1月からフェンシング協会で就業している。


◆太田雄貴(おおた・ゆうき)1985年(昭60)11月25日、滋賀県生まれ。フルーレ専門で京都・平安高(現龍谷大平安高)で史上最年少17歳で全日本選手権優勝。04年アテネ五輪9位。08年北京五輪で日本初となる銀メダル。12年ロンドン五輪団体で銀メダル。同大をへて08年11月に森永製菓入社。リオ五輪後に現役引退。17年8月に日本フェンシング協会会長となり、18年12月には国際フェンシング連盟副会長に就任した。妻はTBS笹川友里アナウンサー。


■団体戦の出場枠ゲットへ正念場

<13日からアジア選手権>

アジア選手権が13日から、千葉ポートアリーナで開幕する。男女3種目(サーブル、エペ、フルーレ)の個人、団体戦が行われ、成績は東京五輪の出場資格を決める年間ランキングに影響。08年北京五輪で銀メダルの太田会長は、前年に行われたアジア選手権で優勝している。それだけに「東京五輪で結果を出すためにも上位に入って欲しい」と日本選手の活躍に期待した。

ライバルは韓国、中国、香港。韓国は男子サーブル団体が世界ランク1位、中国は女子エペ団体が同ランク3位、香港は男子フルーレ団体が同ランク6位などと現在、日本が同ランクでこの3カ国を上回る種目は0。団体戦は年間ポイントでアジア大陸1位になると、東京五輪出場枠を獲得できるため重要になる。


◆フェンシングの五輪出場枠 男女3種目(フルーレ、エペ、サーブル)ともに、19年4月3日から20年4月4日までの国際フェンシング連盟(FIE)の大会で獲得したポイント数で決まる。団体枠は男女各種目で8枠ずつ。(1)FIEのランキング上位4カ国から選出(2)アジア、ヨーロッパ、アメリカ、アフリカ大陸で、FIEランキングトップ4カ国を除いた、大陸別1位の国が選出される。個人枠は(1)団体(3人)枠獲得の8カ国から計24人(2)団体枠獲得以外の国で大陸別個人ランキング上位を選出。アジア、ヨーロッパ大陸からは各国1人ずつの2人で計4人、アメリカ、アフリカ大陸からは1人ずつの計2人(3)各大陸最終選考会から1人ずつの計4人((1)、(2)に該当しない国から)となる。