逆輸入サーファーが、日本代表として表彰台の頂点を狙う。20年東京オリンピック(五輪)の追加種目となったサーフィンの世界選手権に相当するワールドゲームズが宮崎市で7日に開幕する。五輪出場権をかけた戦いに日本代表「波乗りジャパン」男女6人が挑む。注目は女子で初出場の前田マヒナ(21)。ハワイで生まれ育った環境や、日本代表を選択した思いなどに迫った。


■7日から宮崎でワールドゲームズ


江ノ島を背に笑顔の前田マヒナ(撮影・井上学)
江ノ島を背に笑顔の前田マヒナ(撮影・井上学)

時折、英語を交えながら話す前田が、その時だけはっきりとした日本語で答えた。「東京五輪の夢は、表彰台の一番高い所に上って日本の国旗を広げることね」。20年東京五輪の追加種目となったサーフィンの初代女王になる目標を掲げた。

生まれも育ちもハワイ・オアフ島。家の近くには世界的な有名スポット「ノースショア」があり、サーフィンは身近なものだった。小学校の帰りには、友人そろってノースショアに立ち寄り、波の状況をチェック。荷物を置くため1度帰宅すると、競うように海岸に行き、遊んだ。無邪気に波に乗り続ける日々。「初めてサーフィンをした時は趣味だった。楽しくなかったらやっている意味がないなって感じ」と今でもその気持ちを大切にしている。


前田マヒナはアクションカメラを持ちながら華麗にライディングする(撮影・井上学)
前田マヒナはアクションカメラを持ちながら華麗にライディングする(撮影・井上学)

最初は遊びだったが、技を覚えるようになり、大会に出場することで、いつしか仕事に変わった。15歳だった13年に全米、世界ジュニア選手権で優勝し、翌14年にはプロ最高峰チャンピオンシップツアー(CT)の予選シリーズ(QS)にランクインした。当時は米国代表。対戦相手や友人から「あなたは日本人よ」と言われた。生まれも育ちもハワイだが、両親は日本人。自宅では日本語でも会話をする。耐えられないような差別を受けたわけではないが、自分の立ち位置を考えるきっかけになった。「私のルーツはやっぱり日本。だから東京五輪では日本代表を選んだの」。後悔の表情はない。


アクションカメラで華麗なライディングを自撮り(前田マヒナ撮影)
アクションカメラで華麗なライディングを自撮り(前田マヒナ撮影)

今年2月、20年以上住んでいたハワイを離れ、千葉・一宮町へ移住した。1人暮らしをしながら、五輪のサーフィン会場となる同町の釣ケ崎海岸へ通う。海底がサンゴ礁で、大きくて安定した波が発生するハワイに比べて、日本は海底が砂のため波は小さくて不安定。少しでも波のクセを見抜くために移住してきた。「難しいけど、やるしかない。気合」と力を込める。

力強く波を踏み「スプレー」と呼ばれる水しぶきを作る得意技で、大会では好成績をあげてきた。サーフィンの技術を言うまでもないが、実はブラジリアン柔術のインストラクターとしての顔も持ち合わせる。約3年前、なかなか結果を出すことができずに悩んでいた時期にハワイで柔術と出会い、2年前にインストラクターの資格を取得。「今まではサーフィンのことだけで頭がいっぱいだったけど、いろいろな考え方ができるようになった」と波に合わせて柔軟な対応ができるようになったという。今でも時間があれば、ブラジリアン柔術で精神を研ぎ澄ませる。


ブラジリアン柔術を行う前田マヒナ
ブラジリアン柔術を行う前田マヒナ

今大会でアジア1位になると、東京五輪の出場へ大きく前進する。夢への通過点にすぎないが、簡単なことではない。それでも「フューチャーのことを考えすぎると、今がバラバラになる。ステップ・バイ・ステップで考えている感じ」と焦りはない。マヒナという名前は、ハワイの言葉で「月」という意味。日本代表の誇りを胸に、日本の海で明るく輝く。【佐々木隆史】


「K OHANA’S茅ケ崎カフェ」でポーズを決める前田マヒナ(撮影・井上学)
「K OHANA’S茅ケ崎カフェ」でポーズを決める前田マヒナ(撮影・井上学)

◆前田(まえだ)マヒナ 1998年2月15日、日本人の両親のもとハワイ・オアフ島で生まれる。5歳からサーフィンを始め、6歳から大会に出場。13年に全米、世界ジュニア選手権で優勝し、翌14年にはWSLのQTランクで18位に入った。好きな食べ物は、卵かけご飯とメロンパンと不二家のバウムクーヘン。嫌いな食べ物は、セロリとお茶。趣味は山登りと滝で泳ぐこと。家族は両親と姉。162センチ、62キロ。



◆サーフィン・ワールドゲームズ 国際サーフィン連盟(ISA)主催で1964年に世界選手権として第1回がオーストラリアで行われた。当初はショートボードだけでなくロング、ボディーなど各種目を同時開催。その後、種目ごとに分かれ、五輪種目のショートボードだけがワールドゲームズの名称に。男女個人戦と個人戦のポイントで争う団体戦を実施。出場は1カ国男子4人、女子2人だったが、18年大会から男女3人ずつに変更。


<ワールドゲームズ展望>現在CTランク7位で昨年大会2位の五十嵐カノアが、日本勢男子で最も表彰台に近い。日本サーフィン連盟の酒井厚志理事長は「やっぱりカノア君には優勝してもらいたい」と期待。しかし、現在CTランク3位のコロヘ・アンディノや年間優勝11度の実績を持つケリー・スレーター(ともに米国)ら、世界のトッププロも参加するため容易ではない。

一方で酒井理事長は、番狂わせが起こるとも予測。金銭的事情でCTツアーに参加していない実力者が、世界には多数いるという。昨年の男子優勝者のサンティアゴ・ムニス(アルゼンチン)もCT参加者ではなく「サーフィン界では無名の選手。ただナショナルチームだから個人の金銭的事情は関係なしにワールドゲームズには参加できる。だから今年も誰が優勝するか全く分からない」とダークホースの出現は高確率で起こるとした。


<女子代表3人>

前田マヒナ(21歳)

15年にポルトガル・ナザレの約10メートル級の波に日本人女子初のライド

松田詩野(17歳)

今年のジャパンオープン優勝者。小1から地元・茅ケ崎で競技開始

脇田紗良(16歳)

ハワイ・ノースショアで名をはせた父貴之氏を持つサラブレッド

<男子代表3人>

五十嵐カノア(21歳)

日本選手で唯一のCT入り。5月にはアジア人として初優勝を達成

大原洋人(22歳)

13歳で全日本選手権優勝。下半身の強さ生かした迫力ある演技魅力

村上舜(22歳)

今年のジャパンオープン優勝者で日本サーフィン界屈指のイケメン


◆サーフィンの東京五輪への道 出場枠は男女各20人で、国別出場枠は最大各2人。優先順位が高い順から

(1)チャンピオンシップツアー(CT)ランキング上位(男子10人、女子8人)

(2)20年ワールドゲームズの成績上位(男子4人、女子6人)

(3)19年ワールドゲームズの4大陸最上位(アジア、欧州、アフリカ、オセアニアから男女各4人)

となる。20年ワールドゲームズで男子はベスト6、女子はベスト8以内に入れば、19年ワールドゲームズの大陸最上位選手よりも優先される。残る男女各2人は、19年パンアメリカン大会の優勝者と開催国枠(それぞれ男女1人ずつ)。ただし開催国枠はCT、ワールドゲームズで出場が決まらなかった時のみ。