マラソンのシューズ開発合戦が活発だ。ナイキ社が17年7月に厚底のシューズ「ヴェイパーフライ」シリーズを発売。長距離のトップ選手は薄底という今までの常識を一気に覆した。それを身に着けた選手が軒並み好タイムを出したことで、ブームは一気に広がり、多くのトップ選手が後を追うように履くように。ナイキの独走を阻止すべく、他社も負けじと独自のやり方で、よりよいシューズの開発に励む。その工夫、技術力に迫る。【取材・構成=上田悠太】

MGC出場選手の使用シューズ
MGC出場選手の使用シューズ

<ナイキ>

ナイキのシューズはマラソン界に革命を起こした。そして今、世界を席巻する。その最新の試作シューズを履き、男子世界記録保持者のエリウド・キプチョゲ(ケニア)は非公認ながら1時間59分40秒で走った。人類初の“2時間切り”を達成し、シューズの力を見せつけた。2時間14分4秒の女子世界新記録を樹立したブリジット・コスゲイ(ケニア)もそう。20年東京五輪マラソン日本選考レース「マラソン・グランドチャンピオンシップ」では、日本記録保持者の大迫傑(28=ナイキ)ら男子上位3選手も愛用していた。

MGC2位の服部も3位の大迫も厚底シューズだった
MGC2位の服部も3位の大迫も厚底シューズだった

速さの秘訣(ひけつ)は、厚底の中に、挟み込まれた反発力のあるスプーン状のカーボンファイバープレートと新たに採用されたクッション性に優れたフォーム素材だ。接地すると、このプレートがバネのように屈曲。それが脚を前に押し進めるエネルギーを生み出す。ナイキスポーツ研究所の運動力学担当の上席研究者ゲン・ルオ博士は「ランナーのつま先が曲がるときのエネルギーロスを最低限に抑える。この曲がったプレートは、この形状ゆえにふくらはぎの負担を増やすことなく、この目的をかなえられます」としている。

9月に発売されたナイキの「ナイキズームXヴェイパーフライネクスト%」(メーカー希望小売価格2万9700円)
9月に発売されたナイキの「ナイキズームXヴェイパーフライネクスト%」(メーカー希望小売価格2万9700円)

普通に考えてみると、底が厚くなれば、重量は増すが、その課題を克服したのがクッション性に優れたフォーム特殊素材だ。航空宇宙産業でも使用されるもの。軽さとクッション性の両立を実現させた。もともと厚底を目指した経緯は、キプチョゲらトップ選手からクッション性が高く、脚への負担が少ないシューズの要望を受けたこと。それを実現すべく、シューズは薄い方がいいとの概念を捨てた。その結果、新たな形にたどり着き、耐久性は犠牲になるが、その要望に応えたものが完成した。

現在、発売されている最新モデル「ズームエックスヴェイパーフライネクスト%」では通気性に優れ、また汗や雨などの水分の吸収を抑えるアッパー素材の採用などの改良も進んだ。重量は維持されつつ、クッション性、反発性も増しているという。

<ニューバランス>

女子MGC4位だった松田瑞生が履くニューバランスのシューズ。右が25・0センチ、左が24・75センチ(撮影・上田悠太)
女子MGC4位だった松田瑞生が履くニューバランスのシューズ。右が25・0センチ、左が24・75センチ(撮影・上田悠太)

ニューバランスは五輪金メダルを獲得した高橋尚子さん、野口みずきさんらを担当した伝説のシューズ職人・三村仁司氏(71)が主宰を務める「ミムラボ」と提携する。そこで作られるのは個々の特性に合った世界で1足しかないオーダーメードのシューズだ。

三村氏 その足に合っているか、フィッティングが一番大事。本当に使いやすく練習ができるように。選手は筋肉を作ることはできるが、靴は作れない。靴選びで選手は間違った判断をすれば、こっちで判断をして、納得してもらう。

選手の特性に合ったシューズを作り続けている三村氏(撮影・上田悠太)
選手の特性に合ったシューズを作り続けている三村氏(撮影・上田悠太)

2時間22分23秒の自己記録を持つ松田瑞生のシューズには特徴がある。実は松田は両足とも足の親指の付け根が人さし指側に「く」の字に曲がっている外反母趾(ぼし)。そのシューズは親指の付け根部分が大きく外に突き出ている。

三村氏 普通の靴では痛くて走れないですよ。幅を合わせるには1センチ~1・5センチ大きい靴を履かないといけない。そうしたら、爪先が合わんしね。

実は高橋尚子も左足にまめが出来やすい悩みを抱えていた。それは左足の方がわずかに長く、地面を擦っていたから。右のシューズ底をわずかに厚くするだけで、それは消えた。

長く選手から信頼される訳は逸品を提供するだけでなく、その眼力だ。選手と対話の中で故障の原因、欠点も指南する。兵庫・加古川市内の工場にある測定室では、こんな会話が続く。「よく○○が痛くなるやろ?」「その通りです。何で分かるんですか!?」。医者やトレーナーでも分からない腰、膝の痛みの原因も、足を測定しただけで分かることも多い。もちろん靴を変えるだけで改善された場合もあれば、体のバランスが悪い選手には補強トレーニングも指導する。

今の厚底ブームには思うこともある。「選手に合えばいい」と理解を示すが、やみくもに履くことには警鐘を鳴らす。特に日本人は足首が柔らかい人が多い。厚底と相性のいい、つま先着地は故障にもつながる。

三村氏 合わない選手が、みんな履いてるから履いてみようという考えはやめた方がいい。長距離は1年休んだら、もとに戻るのに3、4年かかる。いくらいいものでも、故障のリスクが大きかったらダメだと思いますよ。

<アシックス>

アシックスがトップ選手へ提供する新シューズ「ソーティーマジックアールピー5」(メーカー小売希望価格1万6500円)は薄底だ(撮影・上田悠太)
アシックスがトップ選手へ提供する新シューズ「ソーティーマジックアールピー5」(メーカー小売希望価格1万6500円)は薄底だ(撮影・上田悠太)

20年東京五輪女子マラソン代表の前田穂南(23=天満屋)らが使用するアシックスは、トップ選手向けに開発した薄底モデルを提供している。6日発売の新シューズ「ソーティーマジックアールピー5」は軽さと反発性が特徴。創業者の鬼塚喜八郎が開発し、魔法の靴と世界のランナーから絶賛された「マジックランナー」の系譜を受け継ぐ看板シリーズだ。

重さは26・5センチで片足約158グラム。トップ選手が使用する機能を備えたものでは極めて軽い。開発を担当したパフォーマンスランニング開発チームの中村浩基さん(33)は「軽さはスピードにつながる」と話す。選手の意見を取り入れ、かかと部分を絞るような形状にするなど足とのフィット感を高め、より重さが感じられないようにもしている。

もう1つの特徴である反発性も前作より進化した。秘訣(ひけつ)はシューズの裏側にある。

アシックス「ソーティーマジックアールピー5」の裏側(撮影・上田悠太)
アシックス「ソーティーマジックアールピー5」の裏側(撮影・上田悠太)

土踏まず付近の中部には、合成樹脂製補強材「プロパルショントラス」を搭載。反発力を生み出す硬い素材を、新モデルでは爪先の方まで伸ばし、最適な厚み、長さで埋め込んだ。地面へ伝える力をより高め、推進力を生み出す仕組みだ。

靴底には2種類の独自開発のスポンジ材を組み合わせた。母指球など地面を蹴るのに必要な箇所には反発性の高い素材を採用し、そうでない箇所には軽量性を重視した素材を使用。さまざまな構造を試し、選手に感覚も聞き、素材を適切に配置した。反発性と軽さを備える自信作となった。

メッシュ生地の足の甲を覆うアッパー部分は「足のスイングに合わせて、空気が入りやすい」角度に穴を空けた。通気性を高める工夫も詰まっている。日本企業らしい細部へのこだわりだ。もちろん選手個々の動作、体の特徴、感覚的な要望を実現する具体的なカスタマイズもしている。

確かにナイキを筆頭に外資の勢いは感じるという。中村さんは「事実としてあるが、我々は選手の意見に寄り添い、自社の強み、知見を加味しながら、新たな研究開発をしていきたい」と言う。記録向上を助ける機能性の向上、故障を防ぐ安全性。2つの軸を変えず、靴作りを進めている。