あの時、世間を騒然とさせた出来事の当事者は、現在どんな思いを胸に、どう過ごしているのか-。17年秋のカヌー・スプリント日本選手権で発生した、禁止薬物混入事件。その被害者となった小松正治(29=愛媛県競技力向上対策本部)に話を聞いた。

薬物混入事件を乗り越え、東京五輪代表入りを目指す男子カヤックシングルの小松(撮影・奥岡幹浩)
薬物混入事件を乗り越え、東京五輪代表入りを目指す男子カヤックシングルの小松(撮影・奥岡幹浩)

これは何かの間違いでは-。ドーピング検査の陽性判定を通達されたとき、小松は激しく混乱した。

今から3年半ほど前にさかのぼる。当時25歳だった小松は、カヌー・スプリントの日本代表候補選手として、東京オリンピック(五輪)出場に向けて上昇カーブを描きつつあった。17年9月中旬の日本選手権で3位に入り、直後の国体は2位。そして、10月中旬に中国・上海で行われたアジア選手権で国際大会自己最高の銀メダルを獲得した。国内だけでなく世界でも戦える手応えをつかんで帰国した直後、日本選手権出場時の検体から薬物検査の陽性反応が出たことを告げる電話が鳴った。

小松 何が起こったのか分からず、現実を受け入れるのに時間がかかりました。もう東京五輪に出られないという絶望感がありました。

薬物摂取はまったく身に覚えがなかった。とはいえ振り返ってみれば、代表合宿中や大会中に自身のカヌー道具がなくなるなど、周囲で不審なことも起きていた。

11月の代表合宿中に日本連盟は、5時間以上かけて反ドーピング啓発や各選手への聴取を実施した。数日後、小松と五輪出場を争う立場にいた選手が、小松のドリンクに禁止薬物を混入させたことを涙ながらに自白した。練習や試合で何度も力負けしたことで「もう勝てない」と実感し、妨害行為に及んだという。

加害者が犯した行為は極めて悪質で、自らドーピングに手を染めることよりもさらに卑劣だ。薬物を盛られ、目指していた東京五輪への道が断たれかけた被害者としては到底許し難いはずである。それでも小松は当時「自白してくれたことに関しては感謝している」といった趣旨の談話を残している。今回、改めて心境を確認してもこう述べた。

小松 あの時に自白してくれなかったら、潔白の証拠がなかった自分は資格停止処分のまま何年も競技することができませんでした。勇気を持って自白してくれたことへの感謝は、当時も今も変わりません。

もともと2人の関係は良好だった。プライベートでも親しく、薬物検査で陽性判定が出た時、7歳年下の小松が真っ先に相談した相手でもあった。選手としては長らく憧れの存在だっただけに「ショックは大きかった」と当時話しているものの、相手を責めるようなコメントはなかった。

18年1月10日付本紙東京最終版
18年1月10日付本紙東京最終版

事件から約1年後、小松は加害者から直接謝罪を受けた。それですべてを受け入れた。その約1カ月後に共通の知人が亡くなった際には、小松から加害者へと連絡を入れ、葬儀の日時などを伝えた。

小松 亡くなったのは2人がお世話になった方。でもああいう出来事があったので、他の関係者は彼に連絡を入れづらいと考え、だったら自分が伝えなければと思いました。

連絡を受けた相手は小松からの知らせに感謝の意を伝え、無事参列した。葬儀が終わった後、小松はその相手を食事に誘った。石川県内のファミリーレストランで、2人きりになって話をした。

小松 最初のうちは「目を見て話せないよ」と言われたりしながら…。何度も何度も謝罪の言葉を口にされていました。自分の方からは、もう終わったことなんで、少しずつ以前のように戻れれば良いですねと。そんな会話を交わしました。

その後、共通の知り合いを交えて3人で食事をする機会もあった。コロナ禍ということもあって直接会う機会は限られているが、ラインなどで継続的に連絡は取り合っている。

「今あらためて“彼”に伝えたいことは?」と問うと、小松は「うーん、難しいなぁ…。自分はもう、あの事件のことを気にしていないし…」。そんなふうに前置きしたあと、明るい声でこう続けた。

小松 また普通にご飯とか行けたらいいな。カヌーのナショナルチームは年中合宿を行っているので、家族よりも長い時間を過ごしてきた。自分にとっては、いつまでもお兄ちゃんみたいな存在です。

18年3月、スプリント代表最終選考会で事件後初レースに臨み、3位に入賞した小松
18年3月、スプリント代表最終選考会で事件後初レースに臨み、3位に入賞した小松

加害行為を行った選手は現在も資格停止処分が続いている。一方で潔白が証明された小松は、再び日本代表候補の1人として、東京五輪を目指している。コロナ禍でモチベーションが下がった時期もあった。それでも自粛期間中、60~70キロの重りをつけて懸垂に励み、広背筋を徹底的に鍛え上げた。そのかいあって、昨秋に開催された日本選手権では男子カヤックシングル(K1)2連覇を達成。国内トップクラスの実力を持つことを証明した。5月に延期されたアジア選手権(タイ)で優勝すれば、東京五輪への切符を獲得する。

小松 自分の力を出し切ることができれば、東京五輪出場を狙える位置に確実にいると思っています。

宮城県出身。東日本大震災発生から10年の節目に行われる東京五輪に向けて、期するものは大きい。震災当時は19歳。単身オーストラリアに渡ってカヌーの武者修行を積んでいたが、地震の知らせを耳にして急きょ帰国。東北道が閉ざされた影響で大回りを余儀なくされ、1週間近くかけて実家にたどり着いた。故郷の惨状に心を痛めた一方で、その後、スポーツの持つ力の大きさを実感することもあった。

小松 震災から2年後、プロ野球で楽天が日本一になって東北が盛り上がった。スポーツには人を勇気づけたり、希望となる力があると感じた。自分もそういう存在になれれば。

あの事件を経験したことで、人間的に大きくなったと感じることはあるか。最後に尋ねると、さらりとこんな答えが返ってきた。

小松 サプリメントの摂取について、人一倍気をつけるようになったことぐらいでしょうか。あとは精神的に少しずぶとくなったかな。

禁止薬物を盛られた小松ではなく、東京五輪カヌー・スプリント日本代表の小松と呼ばれることを目指す。そんな思いを胸に、一心不乱にパドルをこぎ続ける。【奥岡幹浩】

20年9月、カヌー・スプリント日本選手権の男子カヤックシングル200メートルで優勝した小松(共同)
20年9月、カヌー・スプリント日本選手権の男子カヤックシングル200メートルで優勝した小松(共同)

◆小松正治(こまつ・せいじ)1992年(平4)1月29日、宮城県松島市生まれ、同県加美町育ち。中新田中1年時にカヌー部に入り、中新田高卒業後はオーストラリアでカヌー留学。13年から日本代表。17年アジア選手権男子カヤックシングル200メートルで銀メダル。日本選手権同種目で19年から2連覇中。愛媛県競技力向上対策本部所属。身長178センチ、84キロ。

◆カヌー・スプリント薬物混入事件 17年9月の日本選手権におけるドーピング検査で、小松正治に陽性反応が出た。しかしその後、ライバル関係にあたる選手が小松の飲み物に禁止薬物の筋肉増強剤メタンジエノンを混入したことを自白。加害選手は日本アンチ・ドーピング機構(JADA)から8年間の資格停止処分を科され、日本連盟からは除名処分を受けた。他者からの混入によるドーピング違反発覚は国内初めて。日本連盟は再発防止策として、大会中にドリンク保管所を設置することなどを決めた。

◆カヌーの東京五輪選考 各種目とも代表になれるのは最大1人(もしくは1チーム)まで。スラロームは男子カナディアンシングル(C1)の羽根田卓也ら4種目4選手が代表内定。スプリントはカヤックフォア(K4)の4人乗りチームが出場を決めた。男子カヤックシングル(K1)の小松は東京五輪出場選考会を兼ねたアジア選手権大会(タイ・パタヤ)で代表枠獲得を目指す。コロナ禍で延期が重なった同大会は5月5~7日に実施予定。原則として各種目の1位の国・地域に五輪出場枠が与えられる。日本連盟は出場枠を獲得した選手(もしくはチーム)を五輪代表とする方針。