松元克央
松元克央

<東京オリンピック(五輪):競泳>◇27日◇男子800メートルリレー予選◇東京アクアティクスセンター

「かつお」の東京オリンピック(五輪)が終わった。松元克央(かつひろ、24=セントラルスポーツ)は「初の五輪で何ガツオでしたか?」と聞かれ、言葉を探した。「情けないので…。何て言うんでしょうか。ちょっとわからないです。すみません」。すぐに言葉は出なかったが、いつもこのやりとりがお決まり。誠実に答えた。

「頂点かつお」=金メダルを狙った200メートル自由形でまさかの予選敗退。この日は800メートルリレー予選。柳本-松元-萩野-高橋で泳いで全体12位の7分9秒53で敗退して出番を終えた。松元は、本命種目の結果を悔いて「鈴木(陽二)先生の顔がみられなくて。何としてもメダルをかけてあげたかったが、予選すら残れない自分が情けない」と涙声で自分を責めた。

松元克央は小4の文集で「オリンピック優勝」と書いた
松元克央は小4の文集で「オリンピック優勝」と書いた

小学校の時は練習嫌いだった。もっと友達と遊びたかった。最初に通った金町SCの玄関で、父達也さんの車から1時間以上でなかった。わざと転んで練習をサボった。小4の文集に「オリンピック優勝」と書いたが、当時の記憶はない。苦手な平泳ぎで手を抜いて断トツのビリ。奮起を促そうと当時の平コーチが「克央(かつひろ)」の漢字をもじって「かつお」と名付けた。高1でリレーを組む先輩の足を引っ張りたくないとやっとまじめに練習し始めた。責任感が理由で、決して自分から大好きになったわけじゃなかった。

松元が高1の時、岡田コーチからもらって着ていたジャパンジャージー
松元が高1の時、岡田コーチからもらって着ていたジャパンジャージー

「JAPAN」ジャージーが、意識を変えた。高1の冬、名門のセントラルスポーツに入った。だがエリート選手ばかりでついていけない。当時のコーチからお下がりのジャパンジャージーを2着もらった。「かっこいいな」。家でいつも羽織って寝た。さらさらの生地に日の丸がついていた。暖かかった。両親に「代表になるとこれを着るんだよ」と自慢した。チームの合宿にも持参した。「かつおが日本代表じゃないのにJAPANを着てるよ」。仲間にはやし立てられても気にならなかった。「僕がもらったものだし、いつかは着たいなと思ってた」。その時の憧れを胸に、名伯楽・鈴木コーチの猛練習に耐えて、力を蓄えてきた。

初の五輪では厳しい洗礼を浴びた。「この経験の意味はまだわからない。初五輪で金メダルの人もいれば、僕みたいに弱い人もいる。必ず答えを出して強くなりたい」。もっと強いかつおになる。【競泳担当=益田一弘】