東京6大学リーグや都市対抗野球の審判員を務めてきた縁で、00年のシドニー五輪に派遣していただきました。審判員と選手団は別行動なので、1人で現地へ行きました。他競技の日本人審判ともほとんど会えず、英語ばかりの3週間で大変でした。

8試合で審判をし、球審も2試合務めました。一塁の塁審をしたアメリカとオランダの試合が印象的です。オランダの左腕投手のけん制球に、アメリカの一塁走者が戻れず、自信をもってアウトコールをしました。するとベンチからラソーダ監督が走ってきて「ボークじゃないのか!?」と顔を近づけて抗議されました。しっかりと「ボークではないです」と対応すると「分かった」とベンチへ戻られました。

翌日のアメリカ-韓国戦で球審を務めたのですが、試合前のラソーダ監督は前日のことを忘れたかのように握手してくれました。試合後に「どうぞ」と道を譲ると「審判より先に行くわけにはいかない」と言われました。相手への敬意を忘れない、ベースボールの精神を教わったような気がします。

30年以上務めた審判を、3年前に辞めました。今はアフリカへの野球普及活動に取り組んでいます。シドニーで当時の日本野球連盟・山本英一郎会長に「これからはアフリカに野球が普及しない限り、野球は五輪からなくなってしまう」と言われ、自分自身感じるものがあったんです。

これまでに3度、タンザニアへ行き、日本の高校生にあたる世代の子どもたちに野球を教えました。まだ野球人口は400人くらい。でも彼らは「野球は9人全員が打順が回ってくる。誰もがヒーローになるチャンスがある。こんなにも公平なスポーツはない」と言って、毎日のように野球を楽しんでいます。まだ日本の小6から中1くらいのレベルですが、ポテンシャルはすごいと思います。

アフリカの子どもたちのほうが野球の楽しさを知っている。日本では大人が楽しんでいる。子どもたちに野球本来の楽しさを返してあげたい。そう思って、本業の海老名市役所でも仕事をしています。少年野球をする子どもたちも減り、このままでは野球文化が崩壊へ向かってしまう。そうはしたくない。オリンピックに参加させてもらった者の責任だと思っています。

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