前回の57年前の東京オリンピック(五輪)、博少年は宮城県の気仙沼中学の2年生でした。陸上部で100メートルとリレーの選手で、100メートルで金メダルを取ったボブ・ヘイズ(米国)の走りを見て衝撃を覚えました。筋肉の塊が、ゴムまりのように走るボブ・ヘイズをまねして走ったんですが、見事にタイムが落ちました(笑い)。

私たち、家族そろって熱中したのが、バレーボールの東洋の魔女でした。10年前のあの日、3月11日の東日本大震災による大津波で亡くなった3歳下の妹(喜代美さん=当時57歳)は夢中になって、バレーボールを始めました。

今度の五輪が始まる前までは賛成、反対の議論があったけど、始まったらすごく盛り上がる。開会式に、長嶋(茂雄)さんが出てきたのもよかった。すごくいい顔をしていました。

スポーツ新聞も連日1面で取り上げていますね。卓球混合ダブルスで金メダルの水谷隼、伊藤美誠組の“みまじゅん”という言葉を覚えました(笑い)。柔道男子73キロ級連覇の大野将平選手の「苦しくて、つらい日々を凝縮したような、そんな1日の戦いでした」と5年間を振り返った言葉は、体験者でないと出てこない。感動しました。きょうだいで金メダルを勝ち取った柔道の阿部一二三選手と詩選手。こんな夢みたいな話もあるんですね。

その一方で体操の内村航平選手は悪戦苦闘の末、鉄棒で落下してしまった。やはり人生は思うようにならないなと。他にも、期待されながら力を出し切れなかった選手がたくさんいます。前回の東京五輪は「憧れ」でしたが、今回、私は「人生」を感じています。

復興五輪ということで、ソフトボールを福島でスタートさせたり、それなりの努力は見えた。もうちょっと復興の色を強めてもいいのかとは思いましたが。宮城県の男女サッカーは有観客でやったけど、村井嘉浩知事が姿勢を貫き通したのはいい。プロ野球だって有観客なんだから、平等であるべきです。オープンスペースでやるんだから、感染対策をしっかりやればコロナにかかるリスクは少ないと思います。

5月に故郷の気仙沼で聖火リレーを走りました。感動しました。走った日の朝にホテルから海を見てたら、自然に涙が出てきました。この海で妹や多くの人が亡くなったんだなと。でも、泣かずに笑顔で走れました。僕の人生を振り返った時に、思い出すシーンですね。

今大会は、テレビを見直す機会になりました。ネット時代でも、地上波テレビにとってライブのスポーツイベントはキラーコンテンツです。まさにテレビの力ここにあり、と。筋書きのないドラマで、選手たちの表情がいい。真剣勝負をやってる人の顔が素晴らしい。

◆生島(いくしま)ヒロシ 本名・生島博。1950年(昭25)12月24日、宮城県気仙沼市生まれ。71年に法大経営学部を中退して渡米。75年カリフォルニア州立大ロングビーチ校ジャーナリズム科卒。76年TBS入社。89年にフリー。現在のレギュラーはTBSラジオ「生島ヒロシのおはよう定食・おはよう一直線」(月~金曜午前5時)。血液型A。