静岡県焼津市出身で、平昌五輪(ピョンチャンオリンピック)スノーボード男子ハーフパイプ(HP)の片山来夢(22=バートン)が14日、7位入賞を果たした。上位12人が出場した決勝の最終3本目に87・00点をマーク。県内出身者で初の五輪雪上競技出場ながら、3本中2本をほぼノーミスで滑った。地元焼津市の大富公民館ではパブリックビューイング(PV)が行われ、市民ら約150人が食い入るようにテレビ中継を見守った。結果が確定すると会場は歓喜に包まれた。
片山が会心の演技で五輪を終えた。最終3本目。ドロップインからいきなりフロントサイド1440(4回転)の大技を決めると、残る3つの回転技も着地まで美しくまとめ、ガッツポーズでゴールした。4位につけた1本目の85・75点を上回った。それでも「決めることは決められたけど、順位は悔しかった」と残念がった。
焼津市出身。スノーボードが趣味の両親に連れられて3歳から滑り始め、小学1年の冬には2週間、スキー場のロッジに住み込んで手伝いをしながら明け暮れたこともあった。小学校高学年で参加した愛媛県東温市の屋内ゲレンデ施設の合宿で、コーチの国広直也さん(43)との出会いが転機。五輪選手を育てたいとの思いを持っていた国広さんは片山に、「本気でやるか」と持ち掛けた。返事は迷わず「はい」。中学から、練習環境が整う東温市に移り住んだ。
別の選手と3人で共同生活。毎日、学校が終わると3~4時間の練習に打ち込んだ。国広さんは「勉強でも上位にいろ」「親が苦労して買ってくれた道具を大事に使え」と学業や精神面も厳しく指導。高校卒業までの6年間、練習で弱音を吐くことはなかった。
おっとりした性格と評されるが、16年に未成年選手が飲酒した場に同席したとして強化指定を取り消された。電話で報告を受けた国広さんは「日本の代表なら周りにどう見られるか気にしろと教えてきたはずだ」と叱責(しっせき)。片山は「気を引き締めて1日1日を大切にします」と宣言した。事実上の謹慎期間中は実家で走り込みの日々。復帰すると好成績を連発し、層の厚い日本勢の中で五輪切符をつかんだ。
片山はレースを振り返り、「自分で滑るより、テレビで見る方が五輪という感じがする」と初の大舞台にも物おじしなかった。そして「他のライダーを見て、燃えるものがあった。次の目標が明確になった」と巻き返しを期した。
◆片山来夢(かたやま・らいぶ)1995年(平7)5月4日生まれ、焼津市出身。両親の影響で3歳からスノーボードを始める。焼津東小卒業後、練習環境を求めて愛媛へ。重信中-東温高。15年にニュージーランドで行われたW杯で初優勝。持ち味はエアの高さと多彩なグラブ。164センチ、60キロ。血液型A。