【夢幻のグローバル・リーグ:第6話】侍ジャパンの原型「足跡つけた。誇りに」

野球が日本に伝わり、2022年で150周年を迎えました。野球の歴史を振り返る不定期連載Season2は、国際化の先駆けとも言える、あるリーグに焦点を当てます。事実は小説よりも奇なり、全9回の第6話です。(敬称略)

その他野球

申告敬遠、守備専属、複数代走OK

開幕から1カ月足らずで幕を閉じたグローバル・リーグ。資金面の詰めが甘く、運営面でも、地元の興行師にいいようにされた。国際リーグとして、あまりにお粗末だったが、実は、時代を先取りする試みも行っていた。

1つが、今でいう「申告敬遠」だ。スピードアップのため、指示するだけで打者は一塁へ歩く新ルールを導入した。

他にも、指名打者が投手以外にも使えた。守るだけの選手がいたということ。また、代走は同じ選手が試合中、何度でも出場できた。資金が限られており、選手不足を補うためだった。東京ドラゴンズの監督だった森徹も、プレーイングマネジャーとして試合に出場した。

「東京ドラゴンズ」の帰国を報じる1969年9月13日付の日刊スポーツ。5面を丸々使い、問題点などを検証している

「東京ドラゴンズ」の帰国を報じる1969年9月13日付の日刊スポーツ。5面を丸々使い、問題点などを検証している

巨人のアメリカ遠征と同等 大冒険

これらは苦肉の策だったとしても、1969年(昭44)という半世紀以上前に、斬新なアイデアで新たな野球の形が示されていたことは間違いない。何より、まだ「1ドル=360円」の固定レート。海外旅行が一般的ではなかった時代に、20代の若者たちが海を渡り、遠い異国でリーグ戦に挑んだ。その心意気こそ、評価されていい。

元甲子園球児で、草野球チームから加わった福井勉は、グローバル・リーグ、そして東京ドラゴンズの残したものを、こう強調した。

子どもの頃、平和台球場で見た情景がプロ野球観戦の原点。大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビアのセルビアやクロアチアの大使館に勤務したが、野球と縁遠い東欧で暮らしたことで、逆に野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。
その夏、斎藤佑樹の早実を担当。いきなり甲子園優勝に立ち会うも、筆力、取材力及ばず優勝原稿を書かせてもらえなかった。それがバネになったわけではないが、2013年楽天日本一の原稿を書けたのは幸せだった。
野球一筋に、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュアの担当を歴任。現在は侍ジャパンを担当しており、3月のWBCでは米・マイアミで世界一を見届けた。
好きなプロ野球選手は山本和範(カズ山本)。