あんなに写真嫌いだった星野仙一さんが、気の置けない人だけに見せたとっておきの顔

「オレは古川みたいな記者が好きだな。アイツは裏表がない」。星野仙一さんの口癖でした。実直さがそのまま伝わってくる、丁寧な取材と言葉運びをどうぞ。

プロ野球

◆星野仙一(ほしの・せんいち)1947年(昭22)1月22日生まれ、岡山県出身。倉敷商から明大を経て、68年ドラフト1位で中日入団。エースとしてチームを支え、優勝した74年には沢村賞を獲得。82年引退。通算500試合、146勝121敗34セーブ、防御率3・60。古巣中日の監督を87~91年、96~01年と2期務め、88、99年と2度優勝。02年阪神監督に転じ、03年には史上初めてセの2球団を優勝へ導き同年勇退。08年北京五輪で日本代表監督を務め4位。11年に楽天監督となって13年に日本一を果たし、14年退任した。17年野球殿堂入り。18年1月4日午前5時25分、膵臓(すいぞう)がんのため70歳で死去した。

「アメリカに行ってたんじゃないか」

もしプロ野球選手になっていなかったら、どうしてましたか? 星野さんに尋ねたことがある。

「アメリカに行ってたんじゃないか」。即答に近かった。日本で普通に会社勤めする星野さんは、確かにイメージできない。

では、アメリカで何をしてましたか? その先の会話は膨らまなかったように思うが、案外、ハリウッドで俳優にでもなったかもしれない。

声色の使い分けが抜群だった。怒りだけじゃない。喜び。悲しみ。楽しみ。太い声には、いつも感情がこもっていた。顔の動きや身ぶりも豊か。話に引き込まれた。武勇伝は情景が目に浮かんだし、ミスターやノムさんの声まねをすることもあった。結構、うまかった。

もともと、話し好きだったのかもしれない。ただ、監督として意識していた部分も少なくなかったと思う。

あえて怒ったり、突き放したり、逆に褒めたり、抱きついたり。常に選手の心に刺激を与えることで、十分とはいえない戦力を束ねていった。その結晶が、13年の日本一だった。

監督を〝演じていた〟のかもしれない。きっと味のある俳優になっただろうな…そんな妄想をしている。

裏付けもある。

「星野は99%、変な顔で写ることはなかったですね」

試合前、星野監督と談笑する岩本茂さん=2013年9月25日、西武ドーム

試合前、星野監督と談笑する岩本茂さん=2013年9月25日、西武ドーム

そういって、岩本茂さんは、スマホに残された写真を見せてくれた。

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子どもの頃、平和台球場で見た情景がプロ野球観戦の原点。大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビアのセルビアやクロアチアの大使館に勤務したが、野球と縁遠い東欧で暮らしたことで、逆に野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。
その夏、斎藤佑樹の早実を担当。いきなり甲子園優勝に立ち会うも、筆力、取材力及ばず優勝原稿を書かせてもらえなかった。それがバネになったわけではないが、2013年楽天日本一の原稿を書けたのは幸せだった。
野球一筋に、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュアの担当を歴任。現在は侍ジャパンを担当しており、3月のWBCでは米・マイアミで世界一を見届けた。
好きなプロ野球選手は山本和範(カズ山本)。