「走るな。歩いてベンチに帰ってこい」「風格を身につけろ」…15歳の怪童に粋な説教/岡本和真あすなろの記〈1〉

巨人の岡本和真内野手(26)が、9月24日の中日戦(バンテリンドーム)で5年連続30本塁打をクリアしました。巨人では19年連続の王貞治、7年連続の松井秀喜に続く3人目。球団の右打者では初の記録です。プロ入り前の岡本を見守ってきたのが、智弁学園(奈良)の小坂将商監督(45)。中学1年の原石に一目ぼれし「こういう選手を育ててみたい」という一念が通じ、「智弁学園・岡本」は誕生しました。人並み外れた技術と体格を備えながら、人より目立つことを何より苦手とした少年が、老舗球団の看板打者に成長していく。胎動を追いました。(文中敬称略)

高校野球

◆岡本和真(おかもと・かずま)1996年(平8)6月30日生まれ。奈良県五條市出身。智弁学園時代は3年春夏に甲子園出場し、高校73本塁打。14年ドラフト1位で巨人入団。15年9月5日のDeNA戦で、巨人の高卒ルーキーでは93年松井秀喜以来の本塁打。18年からレギュラーに定着し、20、21年に本塁打、打点の2冠。22年、巨人の右打者では史上最年少となる、25歳10カ月で通算150本塁打をクリアした。186センチ、100キロ。右投げ右打ち。22年の推定年俸は3億円。

超特大ホームラン直後に

まさか叱られるとは、思ってもみなかったのではないか。

レギュラーメンバーに交じって初めて参加した智弁学園1年、5月の徳島遠征。練習試合で、入学間もない15歳は、とんでもないアーチをかけた。

どこまで飛ぶんだ? という大ホームラン。しかも逆方向への打球だった。敵も味方も仰天した当たりに、ベンチの小坂監督も目を見張った。

それなのに試合中、監督に叱られた。その理由は意外で、およそ1年生に対するものではなかった。

「走ってベンチに帰ってくるな! 歩いて帰って来い! それくらいの風格を持って、やれ!」

あどけなさの残る15歳の選手に向かって、監督は「風格」という重い言葉を口にした。

あんなに飛ばしたバットの芯を持って…

「岡本をいいバッターにしようと思ったら、今、怒らなあかんと思ったんです」

10年前の説教を、小坂はそう振り返る。何が逆鱗(げきりん)に触れたのか。

「最初の打席で。逆方向に果てしなく飛んでいったんですよ。いきなり右中間に。こいつ、すごいな、やっぱりすごいなと思ったのがそこです。なのに後の打席で、普通に打ったら打てる投手やのに、ポンポンと見逃して三振した」

「と思ったら、何も言わずに走って帰ってきて。『1年生』って感じやった。バットを振らず、バットの芯の部分を持って走ってくる。1発目にあんなホームランを見せられてるから、余計に思った。そういう姿を見せたらダメやと。相手になめられてしまう。全国から注目されるバッターになろうと思ったら、風格を身につけろって怒ったんです」

智弁学園での3年間、細かいことはしょっちゅう注意した。だが小坂が岡本に対して本気で声を荒らげたのは、それが最初で最後だった。

日刊スポーツのデータベースに残っていた岡本最初の写真はこちら。2年夏の県大会で2発を放ち、この笑顔=2013年7月18日

日刊スポーツのデータベースに残っていた岡本最初の写真はこちら。2年夏の県大会で2発を放ち、この笑顔=2013年7月18日

出会いは3年前。岡本が「橿原磯城リトルシニア」に所属していた五條東中1年のときだった。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。