【1998年夏の甲子園】横浜・松坂大輔とPL・大西宏明―あの試合が紡ぐ縁/連載1

高校野球の名勝負は、何年たっても変わらない友情を育む―。1998年夏の甲子園大会準々決勝を戦った横浜(神奈川)のエース松坂大輔氏(43=野球評論家)と、PL学園(大阪)の中軸打者で、独立リーグ堺シュライクスの大西宏明監督(43)のトークショーが今夏、大阪・堺市で行われました。大西監督は「青春は短いので、一瞬一瞬を大事にしてもらいたい。一瞬一瞬を大事にしたから、ぼくは今も松坂とつながっていると思う」と、生涯の友人と巡り会えた18歳の夏への思いも語りました。25年たって、今なお輝き続ける夏があります。

高校野球

◆大西宏明(おおにし・ひろあき)1980年(昭55)4月28日、兵庫県生まれ。PL学園で3年春甲子園4強、同夏8強。近大から02年ドラフト7位で近鉄入団。球団合併による分配ドラフトで、05年からはオリックス。07年オフにトレードで横浜に移籍。10年に戦力外になり、11年はソフトバンク育成選手としてプレー。同年限りで引退した。通算554試合で打率2割5分4厘、27本塁打、131打点。現役時代は178センチ、78キロ。右投げ右打ち。


◆松坂大輔(まつざか・だいすけ)1980年(昭55)9月13日、東京都生まれ。横浜(神奈川)で98年甲子園春夏連覇。同年ドラフト1位で西武入団。1年目の99年に16勝で新人王に輝き、同年から3年連続最多勝。07年にレッドソックス移籍。インディアンス、メッツを経て15年ソフトバンク入団。18年中日に移籍し、20年に西武復帰。21年に現役を引退した。NPB通算114勝65敗1セーブ、防御率3・04。MLB通算56勝43敗1セーブ、防御率4・45。主な表彰は最優秀防御率2度、最多奪三振4度、01年沢村賞、18年カムバック賞。00年シドニー五輪、04年アテネ五輪、06、09年WBC日本代表。現役時代は182センチ、92キロ。右投げ右打ち。

▼PL学園VS横浜VTR98年8月20日の第80回全国高校野球選手権大会準々決勝で、PL学園と横浜の東西の優勝候補が顔を合わせた。

両校は同年の選抜大会準決勝でも対戦し、横浜が接戦を制していた。リベンジを目指すPL学園が、2回裏に先手。松丸文政内野手、田中一徳外野手の適時打などで、横浜のエース松坂大輔から3点を奪った。

横浜は4回、小山良男捕手の2ランで1点差に。PL学園が4回に1点を加えたが、横浜は5回に松本勉内野手の2点打で追いついた。

PL学園が7回、三垣勝巳内野手の適時打で5―4と勝ち越すも、横浜が小山の適時打で8回に同点に。5―5で延長戦に入った。

横浜は延長11回、柴武志外野手の適時打で6―5と初めてリードを奪った。

だがPL学園もその裏、大西宏明外野手が同点打。16回に再び横浜が1点をリードしたが、その裏に三塁走者の田中一の好走などで再びPL学園が追いついた。

決着は17回。横浜の常盤良太内野手が、7回から救援していたPL学園のエース上重聡から決勝の2ランを放った。松坂は17回250球を投げきり、大熱戦を勝ちきった。

夏空、スタンド、白球

夏空に大きな弧を描いた白球は、フェンス手前で左翼手のグラブに吸い込まれた。

「あああああ…」

大きなため息をついたのは、フルスイングの果てに左飛に倒れた大西。打ち取った投手はマウンドで、両腕を突き上げてバンザイした。日焼けした顔を笑いでいっぱいにして、松坂が仁王立ちしていた。

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古代の王国トロイを発見したシュリーマンにあこがれ、考古学者を目指して西洋史学科に入学するも、発掘現場の過酷な環境に耐えられないと自主判断し、早々と断念。
似ても似つかない仕事に就き、複数のプロ野球球団、アマ野球、宝塚歌劇団、映画などを担当。
トロイの 木馬発見! とまではいかなくても、いくつかの後世に残したい出来事に出会いました。それらを記事として書き残すことで、のちの人々が知ってくれたらありがたいな、と思う毎日です。