【超火消し論】大魔神から大勢へ「打たれて1面で本物」「遊びゴコロ忍ばせて」/対談

巨人の守護神・大勢投手(23)と元横浜の大魔神・佐々木主浩氏(55=日刊スポーツ評論家)の「クローザー対談」が実現しました。世界一に輝いたWBCの経験や守護神同士にしか分からないクローザーあるある、打たれた後の切り替え方など、たっぷりと語り尽くしました。日米通算381セーブを挙げた佐々木氏がアドバイスした「心の遊び」とは―。ノーカット版でお届けします。(文中敬称略)

プロ野球

◆佐々木主浩(ささき・かづひろ)1968年(昭43)2月22日、宮城県生まれ。東北―東北福祉大を経て89年ドラフト1位で大洋(現DeNA)入団。91年から抑えに転向。最優秀救援投手5度。日本一に貢献した98年にリーグMVP、正力賞。98年の22試合連続セーブはプロ野球記録。00年にFAでマリナーズに移籍。同年ア・リーグ新人王に輝いた。04年に横浜復帰。日本通算252セーブは岩瀬(382)高津(286)に次ぐ歴代3位。05年に引退後、日刊スポーツ評論家。現役時は190センチ、98キロ。右投げ右打ち。

握り談義=2023年4月12日

握り談義=2023年4月12日

◆大勢(翁田大勢=おうた・たいせい)1999年(平11)6月29日、兵庫・多可町生まれ。西脇工では2年秋からエース。関西国際大4年秋に157キロを計測。21年ドラフト1位で巨人に入団した。今季開幕戦で、史上2人目のルーキー開幕戦セーブを記録。勢いに乗り、史上初となる初登板から7試合連続セーブもマークした。抑えに定着し57試合に登板、1勝3敗37セーブ、防御率2・05でセ・リーグの新人王を獲得した。181センチ、88キロ。右投げ右打ち。4100万円増の年俸5700万円で2年目の契約を更改。

原さんに「見てくれ」と言われて

佐々木こうやってしゃべるの、キャンプ以来だな。あの時に原さんに「見てくれ」と言われて、見たときにびっくりしたんだよ本当に。球の強さに。「リリーフにしたいんだけど」という話になったときに、力で抑えられますよという話になって。その通りになって、やっぱりすごいうれしいなと。

大勢はい、ありがとうございます。

2022年2月27日

2022年2月27日

佐々木最初からそういうのって、キャンプ入った時に先発なのか抑えとか、リリーフなのか決まってた?

大勢球団からは最初から「先発で」って言われたんですけど、でも、自分は絶対そうじゃないなっていうのが、自分自身思ってたので。

で、桑田さんにちょっと相談させていただいて、リリーフで行きたいですっていうのを伝えました

佐々木原さんもあの時点(春季キャンプ)で「抑えだよな?」と。「そう思いますよ」と。最初見た時に、久しぶりに力でいけるピッチャー見たなと。で、自分の中でWBC準決勝、決勝は投げてた時の気持ちはどうだった?

大勢投げてる時は本当に…こういう場面で、本当に素晴らしい大会で、他の投手もいるんですけど、そこで投げさせていただいたっていうのが本当にうれしかったですし、本当に光栄に思いました。

「どういう結果になっても」

佐々木プレッシャーすごかった? そこってどうなの? 自分でそういう時に何も考えないみたいなことか、すごいプレッシャーになるとか…どっち?

大勢僕、あんまり多分みんなほど考えないタイプだとは思います。

佐々木打たれた時の切り替えの仕方は?

大勢自分自身、普段から登板でマウンドに上がるまで、準備もしっかりしてるつもりでしたし、トレーニングもシーズンを通してやっていたので。

◆大勢のWBC成績チーム最多4試合に登板し、計4回を投げて4安打3奪三振、無失点で世界一に貢献した。初登板は1次Rオーストラリア戦の7回からで、準々決勝のイタリア戦は9回に登板。米国での決勝ラウンドでは、準決勝のメキシコ戦の9回を無失点に抑え、9回裏の村上のサヨナラ打で、勝ち投手になった。決勝の米国戦では7回にマウンドに上がり、トラウトを抑えるなど無失点で8回ダルビッシュ、9回大谷のリレーにつないだ。レギュラーシーズンは右手指にできたマメの影響で開幕から2試合欠場したが、3戦目の4月2日中日戦で今季初セーブ。ルーキーイヤーに続き、巨人のクローザーを務めている。

どういう結果になっても、後悔しないような準備をして、(マウンドに)上がろうと思って、ずっとやってたので。

打たれたからルーティンを変えるとかっていうのはなくて、もう打たれたら仕方ないってぐらいの準備をしたので、もうすぐに切り替えてました。

佐々木自分のルーティンとか、必ずこれをしなきゃいけないとかある?

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