清田育宏の引退セレモニー…ロッテ担当だった古川真弥記者が、久しぶりに会ってきた

元ロッテで、現在はBC・埼玉に所属の清田育宏外野手(37)が、今季限りで引退します。入団1年目、10年の日本シリーズで活躍。15年には155安打、15本塁打を放ち、ベストナイン、ゴールデングラブ賞に輝きました。リーグを代表する右打者となりましたが、コロナ禍での内規違反があり21年5月にロッテを契約解除。ブランクを経て、23年3月にBC・埼玉入りしました。波瀾万丈のプロ野球人生でしたが、9月2日に引退セレモニーに臨みました。試合前には、応援してくれたロッテファンへの思いなど、心中を語ってくれました。

プロ野球

◆清田育宏(きよた・いくひろ)1986年(昭61)2月11日、千葉県生まれ。市柏―東洋大―NTT東日本を経て、09年ドラフト4位でロッテ入団。10年の日本シリーズで、新人ながら6打点を挙げる活躍で日本一に貢献し、優秀選手賞。15年は自己最多の15本塁打を放ち、ベストナイン、ゴールデングラブ賞。20年に史上13人目の全打順本塁打を達成。コロナ禍での規律違反により、21年にロッテとの契約を解除された。23年3月、BC・埼玉に練習生として入団。4月に選手契約した。180センチ、85キロ。右投げ右打ち。

現役続行の打診もあったが…

レギュラーシーズン最終戦となった茨城戦(さいたま市営大宮球場)。南地区優勝を果たした埼玉は、ポストシーズンであるチャンピオンシップを残す。そのため、厳密には「引退試合」ではないが、清田にとって区切りの一戦になった。

試合前には引退セレモニーが用意された。球団からは現役続行を打診されたが、最初から1年でユニホームを脱ぐつもりだった。

試合前の練習を終えると「自分で引退を決められる選手は限られる。幸せです」と、かみしめるように話した。

ロッテ時代のチームメートだった内竜也氏が駆けつけた=2023年9月2日、さいたま市営大宮球場

ロッテ時代のチームメートだった内竜也氏が駆けつけた=2023年9月2日、さいたま市営大宮球場

ロッテを契約解除となり「野球がもうできない」と思った時期もあった。そんなとき、ロッテ時代の後輩であるBC・埼玉の角晃多球団社長が声をかけてくれた。

多くの支えがあり、再びユニホームを着ることができた。今の気持ちを聞いた。

―この1年は、どんな気持ちでプレーしていた?

もともと野球ができるか、できないかというところがあったので。その中でも1年、契約してくれた。いろんな人に感謝しないといけない。

僕をとるデメリットもいっぱいある中、契約してくれた球団には本当に感謝してます。その中で、僕にできることって何だろうと思ったときに、やっぱり若い選手に手本になればいいなと思ってやってました。

人間なんで「言葉だけかよ。口だけかよ」って言われるの多いじゃないですか。結果も残さないといけないですし、そういうのも自分にプレッシャーをかけながらやってました。

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子どもの頃、平和台球場で見た情景がプロ野球観戦の原点。大学卒業後は外務省に入り、旧ユーゴスラビアのセルビアやクロアチアの大使館に勤務したが、野球と縁遠い東欧で暮らしたことで、逆に野球熱が再燃。30歳を前に退職し、2006年6月、日刊スポーツ入社。
その夏、斎藤佑樹の早実を担当。いきなり甲子園優勝に立ち会うも、筆力、取材力及ばず優勝原稿を書かせてもらえなかった。それがバネになったわけではないが、2013年楽天日本一の原稿を書けたのは幸せだった。
野球一筋に、横浜、巨人、楽天、ロッテ、西武、アマチュアの担当を歴任。現在は侍ジャパンを担当しており、3月のWBCでは米・マイアミで世界一を見届けた。
好きなプロ野球選手は山本和範(カズ山本)。