【ヤクルト・荒木貴裕】「1つのことを14年続けられた」/さよならプロ野球〈16〉

引退―。プロ野球選手にとって不可避の岐路は、新たな人生への「入団」でもあります。オフ恒例の大河企画「さよならプロ野球」で、青年たちの希望の光を追います。2023年の第4弾はヤクルト・荒木貴裕内野手(36)。

プロ野球

◆荒木貴裕(あらき・たかひろ)1987年(昭62)7月26日、富山県生まれ。帝京三から近大に進学。日米大学野球では全日本の主将を務める。09年ドラフト3位でヤクルト入り。1年目から開幕スタメン。内外野を守り、代打、代走など幅広く活躍。23年限りで現役引退。180センチ、84キロ。AB型。右投げ右打ち。今季推定年俸2300万円。

「一番、貯まらない金額」

最高年俸3000万円。今季限りで現役引退した荒木は「俺なんかは大したことないから」と言い、何度も首を横に振った。

「税理士さんからも『プロ野球選手の中では、荒木選手ぐらいの給料が一番、貯まらない金額。2000、3000万円が一番、貯まらない。税金で取られ、貯金も貯まりにくい』と言われたから(笑い)」と自虐的に笑った。

一般人からしたら破格の年収でも、プロ野球界では決して高額とは言えない。「(山田)哲人とか、ムネ(村上)は、毎年何億円。あいつらは、本当にすごい選手」。後輩の山田は今季推定年俸5億円、村上は同6億円。

海の向こうを見れば、ドジャース入りを決めた大谷が10年総額7億ドル(約1015億円)の契約を勝ち取った。単純な年俸で言えば、約101億5000万円。ヤクルト一筋14年の荒木は「俺は普通の選手だったから」と言った。

普通だったら、14年もできない。近大から09年ドラフト3位で入団。本職は内野だったが、外野にも挑戦し、幅を広げた。

スタメンを外れた場合も試合状況に応じて代打、代走として求められた。気付けば、ユーティリティープレーヤーの肩書が付いた。

キャリア最多出場は21年の100試合。獲得した個人タイトルはない。それでも、チームが困った時に荒木貴裕がいた。

「(悔いは)それは、あるよ。あの時、こうだったら…。今こうだったら…。でも、不思議と取り組んできたことには後悔はない。自分の中では、しっかり取り組んで、やってきて、こういう結果だから、これが全てなのかな」と言い切った。

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岐阜県・羽島郡出身。2浪1留の親不孝者。青学大から13年入社。
野球部でアマチュア、巨人、ヤクルト、楽天、DeNA、巨人を歴任。一番の思い出は、19年の台湾出張。痔が悪化し、現地ホテルで試合観戦。異国の地で、購入したボラギノールは忘れられない。
20年からスポーツ部に異動し、サッカー担当に。23年秋から野球部に復帰。好きなものは、優しいウォシュレット。嫌いなものは、硬い椅子。