進学校の二刀流森井翔太郎 あのレジェンドと同じ10代で渡米/物語のあるデータ

25年も新たに5人の日本人選手がメジャーに挑戦します。その1人、森井翔太郎選手(18=桐朋)はプロ野球を経ず、アスレチックスとマイナー契約を結びました。大谷翔平(ドジャース)に続く二刀流男は、10代にして第1歩を踏み出しました。メジャー初の日本人選手、村上雅則投手(80)も10代での渡米でした。64年春、南海からSFジャイアンツに野球留学すると、半年後にはメジャーに昇格し、初勝利まで挙げていました。

プロ野球

投げては最速153キロ、打っては通算45発

24年7月 高校野球西東京大会で力投する桐朋・森井

24年7月 高校野球西東京大会で力投する桐朋・森井

「進学校桐朋に現れた二刀流」

森井は昨夏、こう呼ばれて西東京大会に出陣した。初戦、富士森戦は2―9の7回コールド負け。遊撃で先発した打席は3打数無安打、救援のマウンドは4回2/3を5安打1失点。本領を発揮できないまま、それでも日米スカウトの評価は変わらなかった。

アスレチックスとマイナー契約を締結し会見した森井

アスレチックスとマイナー契約を締結し会見した森井

投げては最速153キロ、打っては通算45本塁打。メジャーを夢見る秀才球児は日本球界に興味を示さず、マイナーから階段を昇る道を選んだ。

森井は「早いうちにアメリカのプロの野球を体感した方が(メジャーに)近いと思った」と話した。

19歳で米留学を告げられた村上雅則

日本人のメジャー選手第1号となった村上は南海に入団して2年目、64年2月の広島・呉キャンプ中に米国留学を告げられた。

「球団から突然『パスポートをとれ』といわれてね」と振り返っている。このとき19歳。3月10日に羽田空港を飛び立った。

渡米後はジャイアンツの1Aフレズノに所属してプレーする。予定では3カ月間の野球留学だったが、6月になっても日本からの連絡はない。そのまま留学生活を続けたという。

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徳島・吉野川市出身。1974年入社。
プロ野球、アマチュア野球と幅広く取材を続けてきた。シーズンオフには、だじゃれを駆使しながら意外なデータやエピソードを紹介する連載「ヨネちゃんのおシャレ野球学」を執筆。
春夏甲子園ではコラム「ヨネタニーズ・ファイル」を担当した。