標準語どころか浪人すんじゃねえかって…「男・村田」が小・中・高同級生の記者と語る

DeNA村田修一2軍監督(45)と、小学校から高校まですべて同級生だった日刊スポーツの前原淳記者による対談が実現しました。同級生だからこそ知る新事実だけでなく、「男・村田」の素顔や生い立ちから今につながる教育論に指導論が見えてきます。

プロ野球

★村田修一2軍監督が語った主な内容

  • 小学生時代にピアノを6年間習っていた意外な過去
  • 早大セレクション落ちから日大進学へ 転機となった決断
  • 3人の息子への子育て論 「野球を辞めてもいい」

◆村田修一(むらた・しゅういち)1980年(昭55)12月28日、福岡県生まれ。東福岡では投手で98年甲子園に春夏連続出場。日大で野手転向し、02年ドラフト自由枠で横浜(現DeNA)入団。07、08年に本塁打王を獲得し、FAで巨人へ移籍した12年からリーグ3連覇に貢献。17年オフに巨人を自由契約となり、18年はBC栃木でプレー。同年限りで現役引退。NPB通算1953試合、1865安打、打率2割6分9厘、360本塁打、1123打点。ベストナイン4度、ゴールデングラブ賞3度。引退後は19~22年巨人、23、24年ロッテ、25年からDeNAでコーチを務める。今季から2軍監督。177センチ、92キロ。右投げ右打ち。


◆前原淳(まえはら・じゅん)1980年福岡県生まれ。村田2軍監督とは違う町内の少年野球チームに所属。中学校の野球部をへて、東福岡野球部に入部。初めて同じチームとなるも、ポジションは外野の外野(球拾い中心)。2年の春を迎える前に「不整脈」のため退部。野球への未練と、理由は病気であれ挫折した劣等感が記者を志す源に。九州産業大学卒業後に東京で4年間、編集プロダクションで下積みをつみ、07年から広島県内の出版社に勤務。14年12月に独立し、日刊スポーツ新聞社の契約ライターとなる。広島東洋カーブの番記者で、前職から含め広島取材歴20年目。

小学校からの同級生、DeNA村田修一2軍監督を前原淳記者がインタビューしている様子

小学校からの同級生、DeNA村田修一2軍監督を前原淳記者がインタビューしている様子

第一印象は「秀才」

前原お疲れさま。同級生対談ということで、プロ野球選手になった村田2軍監督と記者になった私とで対談できればと思います。

村田お願いします (笑い)。

前原修一とは小、中、高と一緒だったけど、小学生のときの第一印象は「秀才」というイメージだった。

村田そうだね。勉強もさせられていた家庭だったから、家で勉強するのは当たり前だった。オカンは小学校の先生だったし、両親ともに国立大を出ているからね。

前原小学のとき、ピアノも習っていたよね?

村田うん。ピアノをやってた! 小学校6年間、やっていたんだけど、あれは本当にやりたくなかった(苦笑)。ネクタイをしてピアノの発表会に出たりしたんだけど、それに出たくなくて。当時は「なんで俺、男なのにピアノをするんだろう」って。でも、両親からは「ピアノが嫌いでも、〝嫌いなことができないヤツが、好きな野球をうまくなるか〟」って言われていた。

前原なるほどね。

村田それが今では、自分が息子たちに「勉強は嫌いかもしれないけど、野球をもっとうまくなりたいなら、嫌いなことも最低限できないといけない」って言っているんだからね。俺だって、嫌いなピアノをやらされてきたんだと言っている。でも、あのときは本当に嫌だったな。ピアノの先生の家まで行って、グランドピアノの下に隠れていたりしたからね (笑い)。

小学5年生時のDeNA村田2軍監督(写真右から2人目)、小学5年生時の前原記者(写真左)

小学5年生時のDeNA村田2軍監督(写真右から2人目)、小学5年生時の前原記者(写真左)

「あおったら修一がバットを振り回してきた」

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野球

前原淳Jun Maehara

Fukuoka

1980年福岡県生まれ。九州産業大卒業後、東京で4年間、数社の編集プロダクションで下積み。2007年から14年まで広島県内の出版社に勤務し、同年12月から日刊スポーツ新聞社の契約ライターに。前職を含め、現在までプロ野球の広島東洋カープを担当。取材と原稿は、技術ではなく、熱量で勝負するタイプ。広島取材歴は第5回WBCが行われる2026年で節目の20年となる。