【広島辰見鴻之介】「失敗できた」「未来のため」局面で前を向くスピードスターの証言

昨季まで在籍した楽天では3年間で通算2試合の出場にとどまっていた広島辰見鴻之介内野手(25)が、現役ドラフトでの移籍を機に野球人生が激変しました。新天地で代走によるシーズン最多盗塁記録を更新する偉業を成し遂げ、侍ジャパンにまで駆け上がったシンデレラストーリーを振り返ります。

プロ野球

★辰見鴻之介が語った主な内容

  • 高校3年夏に野球をやめると決めていた理由
  • 蛇のハブの動きから学んだ「体の軸」とは
  • 失敗を恐れずスタートを切る「未来のため」という思い

◆辰見鴻之介(たつみ・こうのすけ)2000年(平12)11月24日生まれ、福岡県出身。香住丘、西南学院大を経て22年育成ドラフト1位で楽天入団。23年7月に支配下選手登録。24年3月31日西武戦でプロ初出場も、オフに育成契約。25年7月に再び支配下登録。同年はイースタン・リーグで31盗塁を記録し盗塁王。同年オフの現役ドラフトで広島に移籍。趣味は読書。今季推定年俸470万円。176センチ、67キロ。右投げ右打ち。

代走盗塁数の日本記録となる26盗塁を達成した辰見鴻之介(26年9月15日)

代走盗塁数の日本記録となる26盗塁を達成した辰見鴻之介(26年9月15日)

やめるつもりだった野球「落ちちゃったし、西南ならしようかな」

アマチュア時代はまったくの無名選手で、辰見自身、まさか自分がプロ野球選手になれるとは思っていなかった。高校野球を終えたときには、野球をやめると決めていた。

一般入試で進学した香住丘野球部は強豪校とはいえず、一般生徒と同様に補習授業などを受け、文武両道の3年間を過ごした。高校最後の夏の大会も2回戦で敗退。不思議と野球への未練もなかった。

「高校で野球はやめるつもりでした。英語の勉強が楽しくなったので、漠然と海外に興味を持っていたんです」

ぼんやりと自身の未来を思い描き、将来的な留学を視野に外国語学部のある公立大学を目指すことに決めた。その先に何か明確なものがあったわけではないが、「野球」の二文字は自然と頭から消えていた。野球部を卒部した後は、ただひたすら勉強に明け暮れた。

迎えた大学受験。猛勉強も実らず、第一志望だった公立大学の合格をつかむことができなかった。自分の中で「公立大進学から留学」というセットで考えていたことで、留学への思いは消沈。西南学院大に進学し、新たな道を思案する中で再び「野球」への思いが湧いた。

本文残り73% (2288文字/3145文字)

野球

前原淳Jun Maehara

Fukuoka

1980年福岡県生まれ。九州産業大卒業後、東京で4年間、数社の編集プロダクションで下積み。2007年から14年まで広島県内の出版社に勤務し、同年12月から日刊スポーツ新聞社の契約ライターに。前職を含め、現在までプロ野球の広島東洋カープを担当。取材と原稿は、技術ではなく、熱量で勝負するタイプ。広島取材歴は第5回WBCが行われる2026年で節目の20年となる。