【白岩優奈の今〈上〉】実は決めていた引退 五輪シーズン2度の失意で迷いが生まれた

フィギュアスケート女子の白岩優奈(21=関大)がこのほど、日刊スポーツのインタビューに応じました。

全日本ジュニア選手権で2年連続2位、17年のシニア転向後もグランプリ(GP)シリーズを転戦してきた実力者は22~23年シーズン、スケートから1度離れる決断をしました。

3月11日の京都フィギュアスケートフェスティバルで約1年3カ月ぶりに演技を披露。本日から2日連続でお届けするインタビューの前編では、休養に至る経緯、決断時の思いを語りました。

フィギュア

〈今季休養の21歳に思いを聞いた:上編〉

21年全日本選手権フリーの演技。この大会直後から「完全に休むことににしました」

21年全日本選手権フリーの演技。この大会直後から「完全に休むことににしました」

決意のシーズン、夏場に足痛め暗転

――今季、競技会を休む決断をされました。どのような経緯で選択されたのでしょうか

白岩 始まりは2021~22年シーズンが始まる前の4月にさかのぼります。私は高校生の時から「4回転(ジャンプ)を跳ぶ」って、ずっと言っていたんです。2回生(年生)に上がる時、4回転がすごくいい感じでした。北京オリンピックシーズンだし、ハーネスでもたくさん練習をしたくて、学校を1年間休学しました。ハーネスでの練習のために、国内でも船橋まで遠征をしたりしていました。そこでサルコーとトーループをやっていたんですが、トーループを降りられた。どんどん調子が上がってきていたので、4回転を投入して、仮に五輪代表になれなくても、悔いなく過ごして、実は引退をしようと決めていました。でも(8月のげんさん)サマーカップの前あたりに、足を痛めてしまったんです。右足が痛くてルッツ、フリップができなくなりました。

――その時は気持ちの反動が大きかったのではないでしょうか

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。