【伝説の伏見工:連載1】廊下をバイクが走る荒れた高校に山口良治がやってきた

かつて学校は荒れていた。廊下でバイクを走らせ、片隅でシンナーを吸う生徒もいた。伝説の教師はラグビーをさせることで、不良生徒を更生させていく。5年前に配信した「伏見工伝説」の復刻版。「スクール☆ウォーズのそれから 第2章」(12月28日配信)では、ドラマでも描かれたあの人がこの世を去っていたことを伝える。(敬称略)

ラグビー

<泣き虫先生と不良生徒 その絆の物語>

伏見工ラグビー部に就任した当時の山口良治監督(蔦川譲氏提供)

伏見工ラグビー部に就任した当時の山口良治監督(蔦川譲氏提供)

タバコ、麻雀、シンナー、暴力、ケンカ

京阪電車の伏見稲荷駅から西へ5分ほど歩くと、京都市立伏見工業高校はある。

1920年(大正9年)創立の古い歴史を持つが、70年代はバイク事故の件数が京都ワーストと言われ、教師への暴力は日常茶飯事。シンナーを吸う生徒も少なくなかった。日体大を卒業して日本代表にも選出されていた山口良治は74年(昭和49年)に、伏見工に着任。ラグビー部の監督に就任したのは翌75年のことだった。

駅から学校へと続く道を歩く。ふと横を見ると、生徒がタバコをふかしていた。駅近くに数軒あったマージャン荘には、授業がある時間でさえも生徒が出入りしている。学校の廊下でバイクを走らせる不良までいた。教師は生徒からの暴力におびえ、見て見ぬふりをしていた。あれから40年以上が過ぎた今でも、山口は当時のことを鮮明に覚えている。

「タバコを吸っていた生徒を見つけて『お前、何をくわえているんや?』と聞いたら、タバコを下に捨てて『俺か? 俺、指くわえてたんや』と言ってきた。次の瞬間、『お前が吐く息は、そんなに煙みたいに白いのか?』と言ってぶん殴った。そうしたら、後ろにあったコーラ瓶のケースが割れて、弁償させられたこともあった。正直、バイクが廊下を走ってきた時は怖かった。『止まれ!』と心で思っていた。生徒を信じよう、信じよう。そう念じていたら横を通り過ぎた」

ある日、廊下でバイクを走らせた生徒が教官室に訪ねてきた。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。