【伝説の伏見工:2】京都一のワルに差し出された代表時代のスパイク「これをやる」

かつて学校は荒れていた。廊下でバイクを走らせ、片隅でシンナーを吸う生徒もいた。伝説の教師はラグビーをさせることで、不良生徒を更生させていく。5年前に配信した「伏見工伝説」の復刻版。「スクール☆ウォーズのそれから 第2章」(12月28日配信)では、ドラマでも描かれたあの人がこの世を去っていたことを伝える。(敬称略)

ラグビー

<泣き虫先生と不良生徒 その絆の物語>

伏見工時代の山本清悟氏(後列右端)(山本清悟氏提供)

伏見工時代の山本清悟氏(後列右端)(山本清悟氏提供)

届いた願書に職員室は騒然「学校がまた悪くなる」

校内暴力で荒れた京都・伏見工をラグビーで更生した山口良治監督は、不良生徒と向き合いながら1年でチームの基盤を作った。そこに就任2年目の76年春、“京都一のワル”と恐れられた山本清悟(しんご)が入学してきた。

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盆地特有の寒風が、京都の冬の本格化を告げていた。

1976年(昭51)2月、伏見工の職員室は騒然としていた。ラグビー部が1年前に0-112で敗れた花園高を、18-12で下す4カ月前のことだった。届いた1通の出願書類に、教師たちは春からの不安を口にした。

「『弥栄(やさか)の清悟』が来たら、学校がまた悪くなる」

178センチ、90キロの体格で夜の街を闊歩(かっぽ)する山本清悟の進路は、教育現場の大きな関心事だった。京都随一の繁華街「祇園」にあった弥栄中(現開睛中)の3年生。“京都一のワル”と恐れられた男を、周囲は「弥栄の清悟」と呼んでいた。

バイクを乗り回し、タバコと酒は相棒だった。日中もたまり場で賭博やマージャン、花札に熱中した。毎日のようにパチンコ店に入り浸り、勝った分の資金で夜はその足をスナックに向けた。15歳にして、両隣に大人の女性を座らせた。

当時について、山本は「ちょうどその頃にカラオケがはやりだした。大人顔負けの遊びをしとった。老け顔やからいけたんですわ」と回想する。それでも残った体力で、中学の野球部では大柄な一塁手として本塁打をかっ飛ばす不良少年だった。

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編集委員

益子浩一Koichi Mashiko

Ibaraki

茨城県日立市生まれ。京都産業大から2000年大阪本社に入社。
3年間の整理部(内勤)生活を経て2003年にプロ野球阪神タイガース担当。記者1年目で星野阪神の18年ぶりリーグ制覇の現場に居合わせた。
2004年からサッカーとラグビーを担当。サッカーの日本代表担当として本田圭佑、香川真司、大久保嘉人らを長く追いかけ、W杯は2010年南アフリカ大会、2014年ブラジル大会、ラグビーW杯はカーワンジャパンの2011年ニュージーランド大会を現地で取材。2017年からゴルフ担当で渋野日向子、河本結と力(りき)の姉弟はアマチュアの頃から取材した。2019年末から報道部デスク。
大久保嘉人氏の自伝「情熱を貫く」(朝日新聞出版)を編集協力、著書に「伏見工業伝説」(文芸春秋)がある。