【伝説の伏見工:5】4度の全国制覇の陰に警察沙汰、闘病生活、集団退部騒動

かつて学校は荒れていた。廊下でバイクを走らせ、片隅でシンナーを吸う生徒もいた。伝説の教師はラグビーをさせることで、不良生徒を更生させていく。5年前に配信した「伏見工伝説」の復刻版。「スクール☆ウォーズのそれから 第2章」(12月28日配信)では、ドラマでも描かれたあの人がこの世を去っていたことを伝える。(敬称略)

ラグビー

<泣き虫先生と不良生徒 その絆の物語>

17年11月12日、「伏見工」として最後の試合を終え、あいさつする選手たち

17年11月12日、「伏見工」として最後の試合を終え、あいさつする選手たち

1000人超える教え子の顔を思い浮かべながら

山口良治の監督就任からわずか6年で、全国の頂点に立った京都・伏見工ラグビー部。スタンドオフの平尾誠二(享年53)を擁した1981年(昭56)年1月の優勝までの軌跡は、84年に始まった「スクール☆ウォーズ」としてドラマ化された。だが、その裏で山口は常に悩みを抱えながら闘っていた。

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伏見工の監督に就いてから、今年で42年目。現在は総監督を務める山口が、1000人を超えるであろうOBの顔を順番に頭に浮かべている途中、少し苦笑いし、こう漏らした。

「僕は人間ができていないんやろうか。浮き沈みが激しかった」

不良生徒が校舎内でバイクを走り回しても逃げず、喫煙や花札、賭博が行われているたまり場にも、容赦なく立ち入った。生徒と真正面から向き合い、ラグビーに打ち込ませることで、周囲には荒れた生徒を更生させてきたようにも見えた。それでも問題は尽きなかった。

“京都一のワル”と恐れられた山本清悟は、中学時代からの悪友につかまってはケンカをし、警察に連れて行かれることがあった。その度に、警察署まで迎えに行った。時には「先生、何しに来たんや!」と悪態をつかれた。

大八木淳史、平尾を擁して悲願の全国大会初出場を決めた79年冬には、大会前に部員4人が路上で暴れた。交通標識を壊すなどしたため、近隣住民の通報で警察に補導された。連絡を受け、急いで駆け付けた山口はさすがに動揺した。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。