【伝説の伏見工:3】京都一のワルを2度救った「大きな2つのおにぎり」

かつて学校は荒れていた。廊下でバイクを走らせ、片隅でシンナーを吸う生徒もいた。伝説の教師はラグビーをさせることで、不良生徒を更生させていく。5年前に配信した「伏見工伝説」の復刻版。「スクール☆ウォーズのそれから 第2章」(12月28日配信)では、ドラマでも描かれたあの人がこの世を去っていたことを伝える。(敬称略)

ラグビー

<泣き虫先生と不良生徒 その絆の物語>

高校日本代表のジャージーに身を包んだ山本清悟(2列目左から3人目)(山本清悟氏提供)

高校日本代表のジャージーに身を包んだ山本清悟(2列目左から3人目)(山本清悟氏提供)

弁当を持たぬ清悟に「おい、これを食え!」

京都・弥栄中(現開睛中)時代に“京都一のワル”として恐れられた山本清悟(しんご、57=奈良朱雀(すざく)高ラグビー部監督)は、1976年(昭51)4月に山口良治監督(74=現総監督)率いる伏見工ラグビー部に入部した。入学直後にスタンドから見た強豪・花園高戦での勝利をきっかけに、山本はすさんだ夜の世界からラグビーへと、力を注ぐことになった。

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人生で初めて味わう、過酷な夏だった。

「弥栄(やさか)の清悟」として恐れられた1年生は、かつて0-112で敗れた花園高を初めて破った試合を見て、ラグビーの魅力に引き寄せられた。だが、走ってばかりの毎日は苦しかった。当時は水を飲むことも許されない。逃げ出したい気持ちと、意地でも負けられない。そんな葛藤が何度も頭をよぎった。

そして、真夏の愛知遠征が訪れた。セミの鳴き声が、うるさいほど響く。暑い1日だった。

「よし、昼飯にしよう」

マイクロバスで相手校に到着すると、部員は一斉に母親が作ってくれた弁当箱を開けた。その様子を見ないふりをして、山本は窓の外を見つめていた。カバンに弁当はない。昼飯はいつも、100円玉を握りしめ、売店で買った菓子パンだけだった。

すると、突然耳に入った野太い声に一瞬、驚いた。

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大学までラグビー部に所属。2013年10月に日刊スポーツ大阪本社へ入社。
プロ野球の阪神を2シーズン担当し、2015年11月から西日本の五輪競技やラグビーを担当。
2018年平昌冬季五輪(フィギュアスケートとショートトラック)、19年ラグビーW杯日本大会、21年東京五輪(マラソンなど札幌開催競技)を取材。
21年11月に東京本社へ異動し、フィギュアスケート、ラグビー、卓球などを担当。22年北京冬季五輪もフィギュアスケートやショートトラックを取材。
大学時代と変わらず身長は185センチ、体重は90キロ台後半を維持。体形は激変したが、体脂肪率は計らないスタンス。