地方の意地 倉敷守安ボクシングジム守安竜也会長の夢〈下〉

岡山からボクシング世界王者を。

追い続けた夢を倉敷守安ジムの守安竜也会長(70)は3度目の世界挑戦でかなえた。

WBA世界フライ級新王者ユーリ阿久井政悟(28=倉敷守安)は、1月23日にエディオンアリーナ大阪で王者アルテム・ダラキアン(ウクライナ)に大差判定勝ち。

岡山県のジム所属で初の世界王者となった。

守安会長自身も岡山のジム所属初の日本王者だった。

多額の借金を背負いながらもあきらめず、夢を追った「地方の意地」に2回連載の(下)。

ボクシング

◆守安竜也(もりやす・りゅうや) 1953年(昭28)6月26日、岡山県都窪(つくぼ)郡山手村(現・総社市)生まれ。特にスポーツ歴はなく岡山・高松農から民間会社をへて農協へ。73年9月から岡山平沼ジムでボクシングを始める。74年11月プロデビュー。81年8月、第14代日本スーパーライト級王座を獲得し3回防衛。戦績は12勝(6KO)16敗。引退後の87年4月にジム創設。過去の主な所属選手は元東洋太平洋ミニマム級王者ウルフ時光、同スーパーフェザー級暫定王者藤田和典ら。

ユーリ阿久井の父・一彦さん(左)と守安会長(2024年1月16日撮影)

ユーリ阿久井の父・一彦さん(左)と守安会長(2024年1月16日撮影)

現役引退後のもやもや

岡山のジム所属で初の王者、第14代日本スーパーライト級王者の輝かしい看板を掲げた守安竜也は現役を引退した。

1983年4月、世界への挑戦権をかけた韓国での戦いに敗れ、きっぱりとけじめをつけた。

現役時代からありがたく農協職員に籍を置いたまま。

職に苦労はなかったが、ボクシングへの熱は冷めなかった。

所属していた岡山平沼ジムでトレーナーをしながら、教える選手は少なく悶々とした日々。

そんな時にボクシング好きの親しい喫茶店の店主が「自分でジムやったらええやん」と背中を押してきた。

この店主が資金的に援助したわけではなかったが、気持ち的に踏ん切りがついた。

家賃約12万円の借家を改装

自身のわずかな貯金、そして実家の母にすがって得た「500~600万円」の資金を元手にジム創設に動き出した。

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スポーツ

実藤健一Kenichi Sanefuji

Nagasaki

長崎生まれ、尼崎育ちで九州とお笑いを愛する。
関大を卒業後、90年に入社。約2年の四国勤務でいろいろ学び、大阪に戻って主に大相撲、ボクシングを担当。
その後、担当記者として星野阪神の優勝に立ち会えて感動。福岡勤務などをへて相撲、ボクシング担当に舞い戻る。