【亀田史郎的生きざま〈中〉】「えげつないヘタレ」興毅を「今ではアカン」方法で改造

「アンチ」がなんぼのもんじゃい!! 亀田史郎氏(58)は自身のプロボクサーの夢を託した3兄弟を世界王者に育て上げた。独特の指導法、派手な言動で成功を収めていく一方で「アンチ=敵」も増やしていった。日本のプロボクシング界から事実上の永久追放処分を受けながら今年7月、日本ボクシングコミッション(JBC)からトレーナーライセンスを交付され、復権を遂げた。常時戦いの半生、「亀田史郎的生きざま」に3回連載で迫る。第2回は3兄弟破天荒計画。

ボクシング

06年、世界王者となった興毅を肩車する史郎氏。「えげつないへたれやった」と評した長男だったが、父の作戦通りチャンピオンに

06年、世界王者となった興毅を肩車する史郎氏。「えげつないへたれやった」と評した長男だったが、父の作戦通りチャンピオンに

3兄弟世界王者計画、カギを握る長男

「亀田3兄弟」をボクシング世界王者にする。亀田史郎氏の夢実現の鍵はすべて、長男が握っていた。「兄貴がうまいこといったら下は自然についていく。逆もありきやけどな」。

長男の興毅を4歳から空手に通わせた。「人をド突くことに慣れさせなあかんかったから」。今の姿からは想像できないが、幼少期の興毅は史郎氏いわく「えげつないへたれやった。幼稚園から帰ってきたら泣くわ、うそつくわ」。

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スポーツ

実藤健一Kenichi Sanefuji

Nagasaki

長崎生まれ、尼崎育ちで九州とお笑いを愛する。
関大を卒業後、90年に入社。約2年の四国勤務でいろいろ学び、大阪に戻って主に大相撲、ボクシングを担当。
その後、担当記者として星野阪神の優勝に立ち会えて感動。福岡勤務などをへて相撲、ボクシング担当に舞い戻る。