【亀田史郎的生きざま〈下〉】袋叩きに耐え、今は「人気やろ」のアレをロックオン

「アンチ」がなんぼのもんじゃい!! 亀田史郎氏(58)は自身のプロボクサーの夢を託した3兄弟を世界王者に育て上げた。独特の指導法、派手な言動で成功を収めていく一方で「アンチ=敵」も増やしていった。日本のプロボクシング界から事実上の永久追放処分を受けながら今年7月、日本ボクシングコミッション(JBC)からトレーナーライセンスを交付され、復権を遂げた。常時戦いの半生、「亀田史郎的生きざま」に3回連載で迫る。最終回は次なる野望。

ボクシング

柔和な笑顔を見せ、取材に応じた亀田史郎氏

柔和な笑顔を見せ、取材に応じた亀田史郎氏

「顔合わせたらアカンて、そこまで言うてくるんや」

07年10月、亀田家は世間からふくろだたきにされた。次男の大毅が世界初挑戦。WBC世界フライ級タイトルマッチで王者内藤大助に挑み、度重なる反則行為もあって大差判定負けした。その反則行為を指示したとして、史郎氏はセコンドライセンスの無期限停止処分を受けた。

それまでの好意的な視線は一変し、まるで犯罪者の目で見られた。「それまで勢いついてたから。鼻っ柱折ったろと思っていたやつらは多かったな。俺も分かってたけど、ここぞとばかり集中的に攻撃してきよったから。でも、ここで折れたらあかんと。できるだけのことは全部やったし、信念だけは貫いていった」。

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スポーツ

実藤健一Kenichi Sanefuji

Nagasaki

長崎生まれ、尼崎育ちで九州とお笑いを愛する。
関大を卒業後、90年に入社。約2年の四国勤務でいろいろ学び、大阪に戻って主に大相撲、ボクシングを担当。
その後、担当記者として星野阪神の優勝に立ち会えて感動。福岡勤務などをへて相撲、ボクシング担当に舞い戻る。