セルジオ越後氏は、78年から日本サッカー協会公認「さわやかサッカー教室」を始め、20年目となった97年には同協会から表彰を受けている。サッカーの楽しさを子どもたちに伝えただけではない。子ども用のサッカー用具をメーカーにつくってもらい、日本に広めたのも同氏の働きだ。

「サッカーの普及のためには道具が必要だった」。当初、子ども用のサッカー・ユニホームは少なく、サッカー教室に集まった子が野球のユニホームを着ていたことも珍しくなかった。同氏は、当時アディダスの日本国内における販売代理店だったデサント社には子ども用ユニホームやシューズの、モルテン社には室内練習用ボールなどの製作を提案。寄付してもらうようになり、同教室の最後に抽選会をやって参加者にプレゼントした。メーカー側にとってはいい宣伝で、ウインウインの関係となった。

当時のサッカーパンツには尻ポケットがあり、「何のため? 必要ないよ。なくしてコストカットした方がいい」と進言したことも。「それだけ日本ではまだサッカーがマイナーだったんだよ」。地道な活動の積み重ねが現在のサッカー界につながっている。

◆セルジオ越後 ブラジル・サンパウロ生まれの日系2世で、18歳でブラジルの名門コリンチャンスとプロ契約。同国代表候補にもなった。72年に来日、藤和不動産サッカー部(現湘南)でプレー。「さわやかサッカー教室」は開催1000回以上、延べ60万人以上を指導。その経験から「セルジオ越後の子育つ論」など子育て本も出版。93年4月から日刊スポーツ評論家。06年文部科学省生涯スポーツ功労者表彰受賞、13年外務大臣表彰受賞。17年旭日双光章を受章。H.C.栃木日光アイスバックスのシニア・ディレクター、日本アンプティサッカー協会最高顧問。