クラブハウスの周辺は、大勢のギャラリーでにぎわっていた。その片隅にある喫茶室の前で、堀奈津佳(25=フリー)はベテラン記者の質問に答えながら、必死に涙をこらえていた。

 4月7日、兵庫・花屋敷ゴルフ倶楽部よかわコースで開催されたスタジオアリス女子オープンの第2日。堀は第2ラウンドを終え5オーバーの45位だった。

 カットラインぎりぎりで予選通過したプロを、これだけ多くの記者が囲むことはない。彼女の人柄が、そうさせた。

 涙がこぼれ落ちそうになると、こらえるように沈黙が続く。ゴルフ担当になってちょうど1年。ゴルフ界では“新米”の私にも、その姿を見ているだけで、ほんの少しでも彼女の苦労を察することができた。

 「言葉では伝えきれないほど、たくさんの人が支えてくれました。悪い時期でも、ずっと言葉をかけ続けてくれた人もいる。本当に感謝しています。自分だけでは、どうにもならないことばかりでしたから」

 やっと、暗闇から抜け出した。11年にプロテスト合格し、翌12年にステップアップツアー2勝、続く13年にはレギュラーツアー2勝。順調すぎるほどのスピードで、階段を駆け上がった。13年の賞金ランクは10位。だが、誰も想像していなかった極度のスランプに陥る。15年7月のサマンサタバサ・ガールズコレクション・レディースを最後に、予選を通過することすらできなくなった。

 「すごくショットが曲がっていた時期があって、いろいろ考えました。曲がる現実。プロとして、結果が出せないことが…。申し訳なかった」

 長い歳月を振り返るようにそう言うと、目には光るものがあった。

 どれだけ練習をしても、努力を重ねても、好調の兆しは見えなかった。長いトンネルに迷い込み、たとえ前へ進んでも、目指す道のりの先に、光が見えるのかどうかも分からない。

 そんなどん底に、彼女はいた。私が「心が折れそうになったことはなかったですか」と尋ねると、こう答えた。

 「何年という単位で予選を通っていないのに、変わらず応援してくれる人がいましたから。下手だから、練習するしかなかった」

 2年9カ月ぶりの予選通過。4オーバーの36位だった妹の琴音と決勝ラウンドに進むのも、それ以来になる。17番ではティーショットを池に入れながらボギーでしのぎ、最終18番は外せば予選落ちという1メートルのパーパットを沈めた。最後まで「1打」を巡る、緊迫した内容だったからこそ、喜びもひとしおだった。大会を主催するスタジオアリスとは15年からスポンサー契約を結んでおり「アマチュアの時からお世話になっている会長、社長の前でボギーにはできなかった」と感謝の言葉を繰り返した。

 昨年3月、私が10年以上担当したサッカー界から離れる時のこと。お世話になったJ1・ヴィッセル神戸の取締役だった方から「堀なっちゃんに連絡しておくから。分からないことがあれば、何でも聞いたらいい」と言われていた。右も左も分からなかった初めてのゴルフ取材。1年前、真っ先にあいさつに向かったのが、堀さんだった。なかなか取材をする機会に恵まれなかったが、こうして、このコラムをつづることができるのも、何かの縁だろうか。

 8日、久しぶりにコースに立つ日曜日。朝から肌寒い風が吹いた。桜はもう見ごろを終え、葉桜へと変わりつつあった。生涯獲得賃金は9924万円。1億円到達を目前にしているが、インスタートの堀は前半だけで5つのボギーをたたき、大きくスコアを落とした。完全復活の日は、もう少し先だろうか-。

 それでも、真っ暗な闇から抜け出したのは間違いない。彼女は確かに、復活へとつながるかすかな光を、見たのである。【益子浩一】