タイガー・ウッズ(43=米国)が、13年ぶりの日本参戦でツアー82勝目を挙げ、ツアー史上最多勝に並んだ。

ウッズは昔も今も、勝つために誰よりも考え続けてきた。プロとして伝説を残し始める直前、94年に入学したスタンフォード大学での逸話-。同大で30年以上体操部の監督を務め、10代のウッズとも親交があった浜田貞雄さん(72)が証言する。

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今から24年前、まだプロになる前のウッズがパターを手に向かったのは、ゴルフ場ではなくバスケットボールコートだった。94年に入学した名門スタンフォード大の「メープルパビリオン」。その板のコートでパッティングの練習に励んでいた。

その姿を目撃した日本人がいる。95年当時、同大の体操部で監督だった浜田さんだ。「1人で黙々と打ち続けていた」と鮮烈な印象が残る。ウッズの目的は、直後に迫っていたマスターズ対策。ツアー随一の速さのグリーンを想定し、創意工夫の独自練習をしていた。「大学の周りにはそんなグリーンはないから、独自に考えたんでしょう」。

高校時代に全米アマ3連覇など、鳴り物入りで入学した10代のウッズ。1年生からよく見かけたのはウエートトレーニング場、隅で黙々と器具に向き合っていた。当時ゴルフ界は筋力より技術が最重要視された時代。ただ、ウッズの目線は違っていた。プロで勝ち続けるため、筋力トレーニングの必要性を誰よりも理解していた。「指導者から言われるのではなく、自分で先を見すえていたんでしょう」。知識豊富な浜田氏と意見交換し、ゴルフのスイングに必要な筋肉などの議論も、しばしばあった。ガリガリだった体はみるみる筋肉をまとっていったという。

精神面も際立っていた。寮暮らしの体操部の教え子から浜田氏が聞かされるのは、「あいつは本当に負けず嫌い」との言葉ばかり。同じく寮暮らしのウッズは、寮内の卓球などの遊びでも、勝ちにこだわっていた。96年に大学を中退。その年の10月には米ツアーで初優勝した。それから月日は流れたが、浜田氏は「目標達成のために何をするべきかを明確にし、工夫する姿勢は変わらないのでは」と見る。

コーチも定期的に変えるなど、今なお、向上を求め続けてつかんだ米ツアー史上最多タイの82勝目。故障を重ねても、今できる最高のスイングを追求している。それはプロになり初優勝を遂げる前から変わらない、強さの源だろう。【取材・構成=阿部健吾】