夢が現実になった。マスターズで松山英樹が日本男子初のメジャー制覇を成し遂げた。

松山にとって念願だった勝利は、日本のスポーツ界にとっても快挙。さまざまな人物、側面から「夢のマスターズ 日本人初V!!」と題した連載で、この偉業に迫る。

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TBS元アナウンサーでマスターズの“語り部”松下賢次さん(68)が、松山英樹(29=LEXUS)の偉業を歴史的な背景から語った。1981年(昭56)に初めてオーガスタにリポーターとして足を踏み入れ、マスターズ中継に参加すること23回。10年に「語りつくせぬ“夢”マスターズ放送物語」(TBSサービス)を出版しているほどのマスターズ通だ。

「本当にこんな日が来るなんて。マスターズとは、世界中のゴルファーのあこがれ。出ることでもう夢がかなっているんです」

TBSで生中継が始まったのが1976年(昭51)。20回連続で実況した「大先輩」の石井智アナの後を継ぎ、13回もメインを張った。マスターズ独特の難しいコースも熟知している。

「起伏が激しく、フェアウェーであり、グリーンであり、平らなところがない。必ず左か右に傾斜している。並大抵の技術では難しい。今年の松山英樹は完璧だったと思います」

日本人のマスターズ挑戦史をひもとけば、85年前の1936年(昭11)に、陳清水と戸田藤一郎の2人が3カ月もかけて乗り込んだのが始まり。日本人33人、延べ133度目にしてついに優勝に手が届いた。

「夢の舞台で、そこへ勝負しにいったのはジャンボ(尾崎将司)と松山君しかいない。ただスポット参戦で勝てるレベルのものでない。ツアープレーヤーになって、上位レベルの選手と毎週のように試合をして切磋琢磨(せっさたくま)する。メジャーの雰囲気を知り、その中で勝つにはどうする? と突き詰めて考えていくしかない。松山君はそこができた」

人種差別が根深い米国にあって、オーガスタのあるジョージア州は、南北戦争(1861~65年)で奴隷制を守るために戦った南軍が本拠地とした場所だ。そこで97年に黒人の父、アジア系の母を持つタイガー・ウッズが21歳3カ月という史上最年少にして初優勝。センセーショナルな出来事となった。アジア人として初めてマスターズを制した松山も、歴史的な背景を知ればより偉業が際立つ。

「松山君にウッズがすぐメッセージを出し“あなたと、あなたの国にとっての”という言い回しをしたのが印象的です。過去の歴史を振り返ると、本当にすごいことです!」

中継を通じ、日本を代表する歴代のゴルファーとともに闘った自負がある。だからこそ、語る言葉はどれも熱かった。【佐藤隆志】