松山英樹(29=LEXUS)がラッセル・ヘンリー(米国)とのプレーオフ1ホール目のイーグルで制し、アジア人最多タイの米ツアー通算8勝目を挙げた。

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1983年(昭58)2月13日、私はハワイ・ワイアラエCCの18番パー5のグリーン近くにいた。首位に1打差だった青木功が左ラフの第3打地点で構えた。ピンまで116メートル(この年だけ、日本のゴルフはメートル表示で、ヤードなら127ヤード)を、ピッチングウエッジ(PW)で打つと、そのボールはなんと、ワンバウンドでカップに飛び込んだ。おお! 一発逆転だ。首位にいたJ・レナーがぼうぜんとする。私のほおからは鳥肌が立つどころか血の気が引いた。

ショット・イン・イーグル。奇跡だ、奇跡が起こった。当時ハワイアン・オープンといわれたその大会の模様を日本では民放が生中継していたが、まさしくハチの巣をつついたような騒ぎになった。日本人初の米ツアー制覇。翌日のハワイの地元紙は「アオキの元にイーグルが舞い降りた」という見出しで1面トップを飾った。もちろん、私もフル回転で原稿を書いた。

あれから39年。大会名はソニー・オープンに変わったが、ワイアラエCCもあの18番も距離は延びたが、そのままだ。会社でライブ中継を食い入るように見た。松山が本番の18番でR・ヘンリーに並び、同じ18番でプレーオフに突入した。松山の第2打は、絵に描いたようなフェードの弧でピンを刺した。ヘンリーは、その貫禄のショットに、けおされたように崩れていった。もはや、私は39年前を思い出しながら、イーグルを確信して、松山のパットを見守った。

青木さんの米ツアー初制覇も大偉業だが、松山のアジア人最多タイの8勝目も大偉業である。だが「奇跡」と「確信」。39年の歴史と松山の実力が、そのイーグルの形容詞を変える。とは言え、そこで繰り広げられる息遣いが聞こえてきそうなアスリートの戦いは、いつも変わらないな、と快挙の余韻に浸りながら思った。(元ゴルフ担当・町野直人)