米男子ツアー(PGA)参戦10年目、22-23年シーズンに臨んでいる松山英樹(30=LEXUS)が、激動の22年の舞台裏を明かした。サウジアラビア政府系ファンドが支援する、超高額賞金の新ツアー「LIV(リブ)招待」からのオファー。ディフェンディングチャンピオンとして臨んだマスターズ。これまでで最も多い、年間3試合の棄権に思うことなど、これまでベールに包まれていた部分を語った。【取材・構成=高田文太、近藤由美子】

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男子ゴルフを巡る世界情勢が大きく動いた22年。スター選手が次々と、世界最高峰のPGAを去った。フィル・ミケルソン、ダスティン・ジョンソン、ブルックス・ケプカ、ブライソン・デシャンボー(いずれも米国)。さらにはキャメロン・スミス(オーストラリア)も、22年の全英オープンを制した直後に去った。多くのメジャー王者、人気選手が、リブ招待に移籍した。21年にアジア人初のマスターズ王者となった松山も、人ごとではなかった。

世界規模でのツアー拡大を目指すリブ招待にとっては、アジアで絶大な知名度と影響力のある松山は、のどから手が出るほどほしい選手だった。移籍のオファーについて、松山は「当然ありました」と即答した。現役時代は米ツアー通算20勝、メジャー2勝のリブ招待グレッグ・ノーマンCEOと対面しての直接勧誘も「それもありました」。だがPGAに残ると決断。リブ招待のオファーをすぐに断ったかと思われたが…。

「そんなことはないですよ。おもしろいツアーだとは思いますし。(報道などで)『悪い』というイメージにはなっていると思いますけど(他のメジャー王者が)行くということは魅力的なものだと思う。自分がどこを目指してやっていくか。生活の部分で満足していないから、そっちに行くのか。スケジュール的なもので、そっちに行くのか。人それぞれの考え。ただ僕は、今のタイミングじゃないと思ったので」

選手によっては数百億円と言われる、超高額の移籍金で引き抜いた形と、米国と敵対するサウジアラビアが財源とあって、世界的にリブ招待には悪いイメージがついて回る。それでも松山は、リブ招待の存在を否定せず、移籍した選手も非難しなかった。では、なぜPGAに残ったのか。

「PGAでまだまだ勝ちたい思いが強かったのが1番大きな理由です。(リブ招待は)不透明な部分が多いし、PGAで勝ち続けた方がいいなと思ったので。自分の思っていることができた段階で、そういうオファーがあれば考えますよね、もう1回」

4大メジャーをはじめ、伝統と格式のあるPGAにあこがれて海を渡った。最大の目標としていたマスターズを制したとはいえ、まだ夢の途中という考えだ。

「また、メジャーで勝ちたいと思っているので。メジャーだけじゃなくて他の試合でも勝ちたい。(米通算)9勝目、10勝目を挙げたい。ツアー選手権も10年連続で出場したい。9と10では違うので」

今年はアジア人最多に並ぶ8勝目を挙げた。年間上位30人しか出場できない、シーズン最終戦のツアー選手権に、継続中の記録では最多の9年連続進出。PGAの顔となったからこそ出てきた、新たなモチベーションも残留を後押しした。その思いを強くさせる1つの出来事があったのは、連覇を目指したマスターズ。前年大会優勝者が、歴代王者が出席するチャンピオンズディナーのメニューを考案する。これまで明かさなかった舞台裏も語った。

「チャンピオンズディナーは未知の世界で、どれぐらい労力を使うかも全然分からなかったですけど、終えてからはリラックスして試合に挑めました。(メニューは)マスターズ委員会とやりとりして決めました。皆さんが喜ぶような日本食にしたくて、それはうまくできたかなと思います。皆さん喜んでくれました。でも慣れるものでないなと(笑い)。歴代チャンピオンしかいないところに入って行くのは、すごい緊張しましたし。(食事前の全文英語のスピーチは)しゃべれないので丸暗記しました。でも緊張していても、それを言えてよかったです。(試合以上の緊張感が)ありましたよね」

すしや刺し身、焼き鳥の前菜で始まった松山考案メニューは、出席者はもちろん、現地報道でも絶賛の嵐だった。試合も、会食にも出席したタイガー・ウッズ(米国)以来、20年ぶり4人目の連覇こそ逃したが14位。2位で予選を通過するなど優勝争いに絡んだ。

1月のソニーオープン優勝をはじめ、PGAでの存在感が一段と増した1年だった。一方でマスターズ前週を含め、今季は3試合棄権。それまでは多くても年1試合しか棄権がなかっただけに、明らかに増えた。

「やはりケガに苦しめられた1年。痛めたところがなかなか治らず、長引いてしまいました」

首痛で2試合、手首痛で1試合を棄権した。

「(2度の首痛の患部は)別ですね。手首は古傷といえば古傷ですが、よくあることなので。結果的に(2月に)30歳になってからのケガが治らなくなりました。ケアや休まないといけないところの判断を間違えた、ということかもしれないですね。(疲れが取りにくいなどは)ないですよ。病院に行きましたけど診断名とかはないです。(22年12月の)この1カ月しっかりと休んで、それで(首痛が)なくなっていればいいし、なくなっていなければ、付き合っていくものなのかなと思います」

予期せず発症する首痛が出始めたが、悲観的な表情は見せなかった。仙台市の東北福祉大でのアマチュア時代に、東日本大震災が起きたが乗り越えてきた経験が、精神的な強さの源。ゴルフ界にとっても、30歳を迎えた自身の肉体面でも、22年は分岐点となった。23年初戦は早速、1月5日開幕のセントリー・チャンピオンズ(米ハワイ州)。まずは30代初優勝に挑む。

◆22年のリブ招待 グレッグ・ノーマンをCEOに据え、6月ロンドン郊外で新ツアーの開幕戦を実施した。優勝したシャール・シュワーツェル(南アフリカ)が賞金400万ドル(当時約5億2000万円)を獲得。超高額賞金に加え、開幕前からフィル・ミケルソンやダスティン・ジョンソンなどの大物が移籍し話題となった。PGAとは敵対関係となり、リブ招待の試合に出場した選手は、一部のメジャーを除き、PGAの試合に出場できなくなった。日本人も同様で、稲森佑貴らは日本で開催するPGAのZOZOチャンピオンシップに、今年は出場できなくなった。タイガー・ウッズ、ロリー・マキロイ(英国)らは、反リブ招待の姿勢。