米男子ツアー(PGA)に本格参戦して、今年で10シーズンを終えた。男子ゴルフの第一人者、松山英樹(31=LEXUS)が、現在の肉体、目標、胸の内に加え、PGAでの10年間を振り返った。10シーズンで積み上げた8勝は、PGAでのアジア人最多タイだが満足はしていない。日刊スポーツのインタビューに何度も「勝ちたい」を連呼した。来年1月4日(日本時間5日)からザ・セントリー(米ハワイ)で2024年1勝目を目指して始動する。【取材・構成=高田文太、村山玄】

世界のトップが集うPGAで10年間戦い続けても、貪欲さは変わらない。昨年1月のソニー・オープン以来、2年近くも優勝から遠ざかっている松山は、本格参戦1年目の時と同様に、次の1勝に飢えていた。21年に日本人男子初のメジャー制覇となるマスターズ優勝。最大の夢をかなえた。現在の夢について聞くと、表情を引き締めて語った。

「やっぱりメジャーで勝ちたいです。もう1回、勝ちたいです。そこに向けて試合数をどうするのか。連戦するのかしないのか。難しい問題ですけど。でも、しっかりと準備さえしておけば、チャンスは巡ってくるかなと思います。あと優勝回数を、もっともっと、増やしていきたいというのはありますね」

PGA通算8勝は、崔京周(韓国)と並ぶアジア人最多。単独トップの9勝目、さらには2桁優勝の10勝目への思いも口にした。

「2桁(優勝)というのは、早く達成したいです。そのためには9勝目がないと。やっぱり早く勝ちたいなと思います」

とにかく「勝ちたい」という強い思いと反比例するように“練習の虫”が、練習できないジレンマに陥った。昨年は自己最多の3試合棄権。その要因となった背中痛や首痛が、納得いくまで練習で振り続ける、そんな日常を変えていた。

「(マスターズ前週に棄権した)2022年の3月に比べれば、だいぶ落ち着いてきました。ただ常に不安と隣り合わせでやっていました。8月に棄権して、シーズンを終えてからはずっと休んでいましたし。(9~12月の)4カ月で2試合というのは、プロになって初めて。そのぐらい少ない。でも、ゆっくり休息の時間が取れたというのは、すごく大きかった。来年以降、良い方向に向かってくれると思います」

今年唯一、棄権したのがBMW選手権(8月)だった。年間上位30人しか出場できない、シーズン最終戦のツアー選手権への出場権を懸けた舞台で、最後まで戦えなかった。ツアー選手権には、昨年まで9年連続出場。継続中としては、全選手を通じて最長だった。10年連続のツアー選手権出場は、今年の大きな目標。だが、記録は途切れたことへの答えは意外だった。

「(棄権は)スッと決断できました。周りが思っているほど、ショックは受けていなかったです。思ったよりもツアー選手権にこだわっていなかったのかな(笑い)。率直に悔しかったですけど(今季の)この成績なら仕方ない」。

すんなりと棄権を決断できるほど、状態が悪かったかといえば違ったという。

「背中のぎっくり腰みたいな感じ。無理すればプレーはできました。朝も球は打てていましたし。ただ首を最初に痛めた時と同じ感じだったので。この痛みを我慢してやって、また同じ状況に陥りたくなかった。無理した結果、首痛が長引いたので。怖さが勝ってしまった感じです」

背中痛や首痛の影響で、昨年から減っていた練習量が、今年10月のZOZOチャンピオンシップから再び戻った。日本で開催される唯一のPGAの特に第2ラウンド終了後から、打撃練習場で“マン振り”を繰り返す松山の姿があった。

「試したかったんですよね。次の週から休みだったので、どこまで練習したら痛みが出るのか。逆に出ないのかというのを。ZOZOは2日目にたたいてしまって、上位争いは厳しかったので、次の日に結果を出すことも考えていたけど、それ以上に来年以降のきっかけを探していました。どこまで打てるのかなと。試合をやりながらじゃないと分からない部分がある。ZOZOの3日目以降は切り替えていました」

試合中に目いっぱい練習して分かったことがある。

「試合が終わった後は(痛みが)出ました。でもすぐに取れた。痛みが出ても、治療すればすぐに戻せる。そうなってきたことと、それが分かったことはプラスだと思います」。

優勝から遠ざかっている約2年間、30代になり「やっぱり体も変化している」という。特に出やすくなった痛みへの対処法を、だいぶ見つけることができた。飛躍が期待される来年はパリ五輪もある。21年東京五輪では、銅メダルを懸けたプレーオフで敗退し4位。その直後、今後の五輪出場に消極的な雰囲気を漂わせていたが、今は前向きだ。

「出られれば頑張って、と思っています」。もちろん「シーズンの成績が大事」というスタンスは変わっていない。ただ、パリ五輪に出場する可能性は、東京五輪直後よりも格段に高まっている。世界ランキングで日本人男子の上位2人が五輪出場権を得る見込みで、松山は日本人トップに君臨する。

PGAでの10年を今、どう感じているか。

「もう10年たったんだという感じで早かったですね。挑戦した時は『できる』『勝てる』という期待感と『全然できないんじゃないか』という不安の両方の気持ちがありました。今は、ある程度の成績は出せたと思っていますが、もっともっと勝ちたいですよね。そのために、もっと練習したい。練習しないと結果は出ないと思うので」

30代最初の優勝、PGA通算10勝目、さらにパリ五輪に4大メジャー。2024年、けがから復活した松山が、貪欲に勝利を目指し続ける姿を見られそうだ。

◆松山英樹(まつやま・ひでき)1992年(平4)2月25日生まれ、松山市出身。4歳でゴルフを始め、高知・明徳義塾高で全国優勝。東北福祉大2年だった11年マスターズ27位で、日本人初のローアマ獲得。同年11月の三井住友VISA太平洋マスターズでアマチュア優勝。プロ転向の13年に国内ツアー賞金王。同年秋から米ツアーに本格参戦し、14年初優勝。21年4月のマスターズで日本人男子初のメジャー優勝。同年夏の東京五輪は4位。22年のソニー・オープンでアジア人男子最多に並ぶ米通算8勝目。180センチ、91キロ。